徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

二世帯同居点描ー「歳をとる」こと、「若い」ということー

2018-06-22 10:19:16 | 二世帯同居
我が家は2世帯同居だ。
下にウルトラマン一家(娘夫婦、ウルトラマン兄弟(小3、小1))、
上に私たち団塊世代夫婦と14歳の猫、ムサシ。

はじめから同居だったわけではない。
ウルトラマン1号が小学校に入学したとき一緒になった。
それから2年3ヶ月が経つ。

それまでは育児支援で、片道40分の娘夫婦の家まで
週2回、ウルトラマンたちの保育園のお迎えをしていた。

そのときはまだ姑が存命だった。
姑が1階、私たち夫婦が2階の二世帯同居だった。
けれど4年前に姑が亡くなり、
いろいろ考えて娘夫婦との同居を決断した。

ちょうど、同居が決まって、娘が近所の知り合いに
引越しの挨拶に行ったとき、私も同行した。
知り合いは言った。
「同居は大人にとっては大変なことも多いけれど、
子どもにとっては、とってもいいことだと思うわ。」

知り合いは舅、姑、それに義姉と同居の結婚だった。
すでにその3人は鬼籍の人となっているが、
嫁としては大変だったこともあったけれど、
子どもたちはその3人にかわいがられて、
同居は子どもたちにいいと心から思っているという。

なるほど、そうかもしれない。
私も結婚後10年経ってから、姑と同居を始めた。
30年弱の同居だった。
姑は個性的だった。

嫁の私は姑とぶつかること避けていたけれど、
孫たちとはぶつかることもあった。
同居中は、面倒くさいと思うこともあった。
でも、気づいてみると、
そういう個性的な姑との同居は
嫁の私のなかにも、子どもたちのなかにも
異質な人に対する人間関係力をつけてくれたように思う。

面倒くささは、時として人を育てる。
そう思った(もちろん、それを大きく実感したのは
姑が亡くなった後だったけれど(-_-;))。

二世帯になってからの育児支援はというと・・・、
週日は4時過ぎに放課後クラブから帰ってくる
ウルトラマンたちを家で迎え、
6時過ぎのウルトラの母の帰還まで、2階で預かる。
およそ2時間。
その間に5時半前に子どもたちの夕食を用意する。
と言っても、ウルトラの母がほぼこしらえていったものを
温め直して並べ、そばに座っておしゃべりしながら付き合う、
というもの。
丁度食べ終わったころに母の帰還となる。

その2時間、ウルトラマンたちの成長につれて
随分過ごし方が変わった。

今のはやりは、小熊のレスリング大会ならぬ
じゃれ合い大会。1号は手加減しながら、
2号は思いっきり。
それでもドカーンとぶつかって、
どちらかの目から涙が落ちることもある。

このレスリング大会は、
学校から帰ってすぐには始まらない。
帰ってきたら手洗いうがいをすませ、
ゴソゴゾとおやつを選ぶ。
と言っても飴玉一つと、クッキー1枚という簡単なもの。
何しろもう4時を回っている。
ここでおやつを食べ過ぎてしまうと、
夕飯が入らなくなるからだ。
ウルトラマンたちはこの掟をしっかり守っている。

そして、30分のテレビかビデオを視聴。
その選択は二人が交代で行う。
時として、ここで大喧嘩が始まることもある。
私たちは見守る。
そして、落ち着くところに落ち着いたとき、
誘われて一緒に観る。

テレビを見ない時は、今二人がはまっているトランプ。
「七五三」「ババ抜き」「神経衰弱」が定番。
私たち夫婦が勝てる見込みがあるのはババ抜きのみ。

「七五三」は瞬間判断力と、機敏な動きを要求される。
私たちに勝てる見込みはほとんどない。

「神経衰弱」。これは1年生の2号の十八番(おはこ)だった。
ところが最近では3年生の1号の追い上げ激しく、
毎回二人の死闘となる。
これも私たちにはほとんど勝ち目がない。
あまりに取れる枚数が少なくて
「分けてあげるよ」なんて言われる始末。

子どもたちは自分たちの「成長」を、
私たち夫婦は「老い」を実感する瞬間でもある。
そして子どもたちも私たちの「老い」を、
私たちも子どもたちの「成長」が意識に上るときでもある。

子どもたちとの時間は時にゆったり、
と言いたいが、小学生との時間は
ともかくスピードが速い。

2時間はこうして過ぎていく。
そして「おやすみなさーい」と
ウルトラマンたちが階下に戻って
私たちの時の流れが戻る。

こうやって、お互いに「年をとってるなー」とか
「若いって凄い!」なんて思いながら、
そんな日々を味わっているところです。

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