徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

父の三周忌ー実家とお別れの時ー

2018-06-17 10:20:48 | 父とのこと
月日の経つのは本当に早い。
光陰矢の如しとはよく言ったものだ。


つい最近、父の一周忌を終えたと思っていたが
あっという間に三周忌を迎えた。

一周忌の時は、
父や母と親しく行き来をしていた人々に
集まってもらった。
お寺で法要を済ませてから、
皆で実家に集まった。

そこで、父の釣り道具や魚拓、
母のアマチュア画家としての
作品の数々を並べ、皆でワイワイおしゃべりをし、
気に入ったものを貰ってもらった。

父は93歳を目前にし旅立った。
父が最後まで一人で頑張って住んでいた
実家は大正10年生まれ。
だから、大正12年生まれの父とほぼ同年代。

父と実家、同じように齢を重ねていった。
そしてちょっぴり早く、
父が実家を離れることになった。

父は、亡くなるほぼ1年前に実家で倒れた。
以後、病院や老健等で過ごすことになったため、
実家はそれから空き家になった。

やがて父が亡くなり
いよいよ正真正銘の空き家となった。

一周忌で皆にお別れをしてもらった実家。
妹と私は頭突き合わせて考えた。
何とか実家を手放さなくてよい方法はないかと。

でも、なかった。
私たちも60代、家と実家の行ったり来たりは
残念ながらもう少しきつい。
子どもたちもそれぞれに生活の場を得ている。
実家から通勤することは難しい。

アパートを建てようかと考えもしたが、
家主が近くに住んでいないなら、
あまり意味がないと私たちは考えた。

そして、手放す決心をした。
はじめの大手の不動産屋さんのときには
なかなか買い手がつかなかった。
そして私たちはその買い手がつかないということに
安心したり、困ったりと、両極端の気持ちを味わった。

だが、地元の不動産屋さんに替えてすぐ、
買いたいという人が3人重なった。
そしてあれよあれよという間に、
その中の一人の方に売り渡すことになった。

買い手が決まってからの三周忌。
今回は法要後には
私と妹の家族だけで最後の食事をとることにした。
そして思いっきりお別れをしようと。

梅雨の晴れ間の一日。
私たちは心置きなく実家にお別れを言った。
そして実家をあとにした。

それから1週間後、
遂に実家の解体が始まった。


無残!!!

実はこの実家の土地、
はじめは100坪あったが、
祖父の遺産相続の時に
父の取り分60坪の広さとなった。

私たちが幼い時に遊んだ庭は
そのとき、木々が整理され更地となった。
そして、家が建った。
その庭には私たちの犬や猫、
父のカナリヤなどが眠っていた。
その上に家が建った時、
私は苦しかった。

と、そんなことを思い出しながら
家の解体写真をみた。
「あーあ・・・・・」。

曽祖父が建てた家。
私は曽祖父の記憶はない。
私が0歳の時に亡くなっている。

私の記憶は祖父の時から始まる。
この家を訪ねてきた祖父母のきょうだい。
彼らが訪ねてきたときの雰囲気を思い出す。

祖父が再婚した時の結婚式の日のこと。
当時4,5歳だった私は
「おばあちゃんは、東京から来たんでしょ」と
親しみを込めて二度目のおばあちゃんに聞いた。
それがいけなかった。
嫁いできた祖母はそれでいたく傷ついたのだ。
以後、彼女と私の関係はどことなくぎくしゃくしたっけ。

と、次から次へと思い出が頭の中を駆け巡る。
家は壊してしまっても、いつでもこうして
心の中からは実家の記憶は蘇ってくる。

それにしても心残りなのは、
一緒に遊んだ犬のこと、猫のこと。
彼らをそこに置きっぱなしにしてしまったと思うと
不覚にも涙が流れる。

ごめんねメロたち(3匹。犬)、
そして信子(しんこ・猫)。

小学生の時にいっぱい話を聞いてくれた
一代目メロ。
私と同い年。
彼の存在は私には本当に大きかった。
以後も縁あってきた犬たちとは楽しい時を過ごした。
迷い猫の信子。
彼女は半年一緒に住んだ。
そして、ある夜、交通事故でこの世を去った。
この時は妹が全部やってくれた。
私が家に帰ってきたとき、
妹は部屋で泣いていた。

そんなことが次々に・・・。
そんな思い出は、家がなくなったって
私たちの心には残る・・・。

まだ、解体されつつある家を見て
動揺してしまう私なのでありました。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。