徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

孫と過ごすということは過去の自分に出会うこと??-

2018-01-29 22:38:34 | 二世帯同居
今年はインフルの当たり年だ。
後期の試験も近づくあたりになって、
学生から次々にインフルで倒れたとの連絡がある。
それもB型が多い。
こんなに多いのはここ10年でも初めてだ。

気をつけようっと思って、
正攻法でマスク、手洗い、うがいを励行していた。

ところが、その敵、外ではなく
なんと我が家に立ち現れた。

二世帯住宅の1階に住んでいる
ウルトラマン一家の
ウルトラの母がまず倒れた。

それから1週間以上が経ち、
幸いなことに誰にもうつらなかった。
やれやれよかったと思っていたら、
そのあと、1号(2年生)と2号(保育園年長)が
同時に倒れた。

だが予防注射が効いたのか、
熱は一晩で下がった。
念のために受診したらB型と診断された。

診断されたらインフルはインフル。
学校や保育園は休まなくてはならない。

そこでわが家の対策は、
一日目はジジババがベビーシッター。
二日目、三日目はウルトラの母と父が
代わりばんこにお休みをとることに。

一日目の今日、
久し振りのフルデイ育児。
といっても2年生と年長ともなれば
自分たちでも良く遊ぶ。

今日は「そうだ村の村長さん」から始まった。
これは阪田寛夫さんの詩で、何ともリズミカル。

阪田寛夫「そうだ村の村長さん」

そうだむらの そんちょうさんが
ソーダのんで しんだそうだ
みんながいうのは ウッソーだって
そんちょうさんがのんだソーダは
クリームソーダのソーダだそうだ
おかわり十かいしたそうだ
うみのいろしたクリームソーダ
なかでおよげばなおうまそうだ
クリームソーダのプールはどうだと
みんなとそうだんはじめたそうだ
そうだむらではおおそうどう
プールはつめたい ぶっそうだ
ふろにかぎるときまったそうだ
そうだよタンサンクリームおんせん
あったかそうだ あまそうだ
おとなもこどもも くうそうだけで
とろけるゆめみてねたそうだ


1号の担任の先生が、
この詩をコピーしてくれたという。
1号はこのリズムにすぐにはまった。

先週もこの詩の音読の宿題を
実に楽しそうにしていた。

そんな時、私も加わる。
ウルトラの母も、2号も加わる。
皆で大合唱ならぬ大音読大会。

今日は宿題でもないのに、
「そうだ村やろう」と1号。
早速ノートをもってきた。
1号はもちろん、2号もほぼ暗記状態。
ノート見ながら声出しているのは私だけ。

この時期は特にリズムがよければ、
すぐに頭に入ってしまうのだ。

私も60年程前は今の彼らと同じ年。
瓦屋をしていた祖父が、
「R子、『お富さん』歌ってみろ」
なんて言おうものなら
「はーい」と良い返事。

「死んだはずだよお富さん、生きていたとは
お釈迦様でも知らぬ仏のお富さん―」なんて
すぐに歌った。

そしていつも思った。
大人はなんで歌を覚えられないんだろうって。
とっても不思議だった。

今ならわかる。
それが年を取るってことだということを。

今日も1号が聞いてきた。
「おばあちゃん、なんでいつまでもノート見てるの??」って。
「…だって覚えられないんだもの」と私。
「ふーん・・・」と不思議そうな1号。

祖父は60歳で亡くなった。
今の私より若い。
それでも当時の私にとって、
祖父は正真正銘の「おじいちゃん」だった。

1号が時々呟く。
「おばあちゃんは67歳なんでしょ。
ほんとに随分長く生きているんだねえ」と。
きっと、彼にとっても
私は正真正銘のおばあちゃんに違いない。

久し振りに孫と一日過ごした私は、
「ほんとに随分長く生きているんだねえ」という
1号の言葉をかみしめた。

孫と過ごすということは
自分が高齢者であることを
いやでも意識させられることでもある。

と同時に、彼らと同じくらいの年の私が
ふっと現れては消えるという
過去の自分に出会えるときでもあるのだ。

幼い日々は過ぎ去っても、
心の中にはいっぱい残っているのだと
改めて思った一日だったのでありました。
























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