2020@TOKYO

音楽、文学、映画、演劇、絵画、写真…、さまざまなアートシーンを駆けめぐるブログ。

私の好きな歌-7 「テネシー・ワルツ」 / トム・ジョーンズ

2008-05-10 | ■私の好きな歌
  数年前、川釣りに行くときにいつも聞いていたのは "The Long Black Veil" というチーフタンズのCDだ。アイルランドのグループ、チーフタンズが大物歌手をゲストに招いて録音したもので、その顔ぶれはそうそうたるもの。

  スティング、ミック・ジャガー、シンニード・オコーナー、ヴァン・モリソン、マーク・ノプラー、ライ・クーダー、マリアン・フェイスフル、トム・ジョーンズ、ローリング・ストーンズ。

  ご覧のとおり、この顔ぶれの中で全く場違いなのがトム・ジョーンズ。全13曲中、8曲のレコーディングがアイルランドのダブリンで行われ、残りの4曲がニューヨーク、最後の1曲はロスアンゼルスという具合で、これがトム・ジョーンズのセッション、しかも、曲は「テネシー・ワルツ」とくるから思わずのけぞってしまうのである。

  最強の闘士・シンニード・オコーナーは別格として、それぞれのアーティストがきっちりとした音楽的メッセージを持っているアルバムの中で、トム・ジョーンズだけは、ロスアンゼルスの晴天の中でお気楽に歌っているようにみえる。だがしかし、この「テネシー・ワルツ」を実際に聞いたとたん、そんな考えは一度に消えて、思わずひざを乗り出してしまうのだ。

  この歌から聞こえてくるトム・ジョーンズのメッセージはこうだ。『オレは歌が好きで好きでたまらないんだ。大声をだしてシャウトしているときが無常の喜び、今日も生きていて、歌うことができることに感謝するよ』。

  考えようによってはお気楽きわまりないのだが、真の歌好きの歌を聞くことができるのは、これまた無常の喜びであるに違いない。とにかく、この「テネシー・ワルツ」を聞くと、間違いなく幸せになる。どんなに仏頂面をしていた人でも、必ず笑みを浮かべてくれるだろう。

  幸せな人間が運んでくれる音楽ほど心の安らぎとなるものはない。トム・ジョーンズの絶唱「テネシー・ワルツ」から連続するかたちで、チーフタンズのメンバー、パディ・モロニーによる「テネシー・マズルカ」が演奏される。これを聞いて、私は幸せな心持のなかで、川に向かう準備をはじめるのだ。

  
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私の好きな歌-6 「暗い日曜日」 / カーリン・クローグ

2008-05-10 | ■私の好きな歌
  
  前回に引き続き、またもやジャケ買い。とはいえ、アン・フィリップスのように得体の知れない歌手ではなく、カーリン・クローグとスティーヴ・キューン・トリオによる「ニューヨーク・モーメンツ」というアルバムである。

  カーリン・クローグとの出会いは35年くらい前のことで、FM放送で流れていたモントルー・ジャズ・フェスティバルのライブで初めて聞いた。確かオーネット・コールマンの「ロンリー・ウーマン」だったと思うが、歌い方が現代音楽のようで驚いたものだ。

  今回のジャケ買いの最大要因は、ジャケットに使われているエドワード・ホッパーの作品である。私はホッパーの絵を3枚持っているが(もちろんプリントもの)、そのうちの2枚はいつもリビングに架けてある。残りの1枚は、例の「深夜の人たち」、この絵にかぎっては、よほど精神状態が健全なときでないと飾らないことにしている。

  CDのジャケットに使われているホッパーの作品は「ホテルの部屋」というもので、1931年に制作されている。ホテルの部屋、旅行鞄のわきには脱ぎ捨てられた靴がころがっている。手紙を読んでいる女、それが良い知らせでなかったことを暗示させる空虚な気分が画面に満ちている。

  「ニューヨークを舞台にした11編の切ないラヴ・ストーリー」というのがアルバムのコピー。11番目に歌われるのは、あの「暗い日曜日」である。ダミアの歌で大ヒットした名曲だが、この曲を聞くと自殺したくなる…という風評が世間に流れ、ヨーロッパでは放送禁止になったこともある。

  この歌が世に出たのは1933年のハンガリー、ダミアのレコード・リリースが1936年、ナチスの台頭により、ヨーロッパをファシズムの嵐が吹き荒れる前夜のことである。一方、カーリン・クローグのアルバムが録音されたのは2002年11月、あの9.11から1年と少し経った後のことだ。アルバム・タイトル=ニューヨーク・モーメンツ、エドワード・ホッパー、旅行鞄、手紙…。これだけの道具立てが揃えば、「暗い日曜日」は救いようのない絶望感にあふれたものになるだろう、と誰もが想像するにちがいない。北欧の歌姫と呼ばれ、クールな印象がつきまとうカーリン・クローグのことだから、この歌はますます暗く沈うつなものになるのではないか?

  その予測は見事に外れた。過剰な思い入れは一切なく、淡々と語るように歌いながらも、優しさ、温かさといった何ともいえない温度感が漂っている。マイナーからメジャーに転調したときに差込む一瞬の光、しかしすぐに短調の旋律が光をさえぎり、ふたたび訪れるGloomyな気分。しかし、そこに絶望はなく、いつかまた再び光が差し込むのを静かに待ちつづけるように歌は終わる。ピアノは多くを語らず、ベースはアルコ(弦を弾かずに弓で弾く)のままだ。ジャズ界の大ベテラン、カーリン・クローグとスティーブ・キューンは、1930年代のヨーロッパを席巻した“自殺ソング”を恢復=再生の歌に変えてしまった。

  最近、このアルバムの続編がリリースされたが、ジャケットは本作と同じエドワード・ホッパーの作品である。

  

  


  
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