林間教育通信(「東大式個別ゼミ」改め「シリウス英語個別塾」)

私立中高一貫校生徒を対象とする英語個別指導塾。小田急線の東林間駅(相模大野と中央林間の隣駅)から徒歩3分。

トム・ソーヤー補足(アニメがあった)

2010年12月16日 | 教養英語
トム・ソーヤーの件について補足です。

忘れていましたが、アニメ版がありました。そこでは、ちゃんと黒人奴隷も描かれているそうです。ただし奴隷の「子ども」じゃなくて、「青年」になっています。詳しくは後ほど・・・。それから、もっとハックルベリーフィンについても書きたい。

ペンキ塗りの動画
動画一覧

ジム・ホリス(声・西川幾雄)
 ポリーおばさんの家で奴隷として使われている黒人の青年。奴隷と言ってもポリーおばさんは、こき使う事なく親切にしているので召し使いと言ったところか。とても働き者の青年である。

『トム・ソーヤー』のジム少年 (英語文学の読解と指導の必要性)

2010年12月16日 | 教養英語
青学「ひめゆり退屈問題」は続けたいですが、その前に『トム・ソーヤー』についての補筆をしておきます。
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マーク・トゥエイン『トム・ソーヤー』の「ペンキ塗り」のエピソードは、多くの人がだいたいのことは知っていると思う。私はマーク・トゥエインの作品などは最近までほとんど読んだことがなかったが、それでも知っていた。いや、知っていたつもりである。だが、すでに明らかにしたように、最初にトムの前を通りかかるジム少年は黒人奴隷の子だったのである。どれだけの日本人読者がそのことに気づいていたのだろうか? 私たちの多くは節穴だったのではなかったのか。すくなくとも、英語の教科書では、平然と書き換えられてしまっていることに気づかなかった者は多いのではないか。 
翻訳だけでもしっかりと読んでいれば、ある程度以上は事態を察することが出来たはずだった。大久保康夫訳の『トム・ソーヤー』(新潮文庫)をみてみよう。写真を見てもらいたい。

よく読むでみると、トムとジムは同じ身分に属する少年同士ではないことが、訳文からでも窺うことが出来るののである。ジムは、トムを「トムさん」と呼んでいるし、ジムに命令しているのはお母さんではなくて「奥様」なのだ。時代背景をしらなくても、ジムが「下男・下女」のような存在であることが推察しうるはずだったのだ。もちろん我々は、アメリカ史を多少なりとも知っているのだから、奴隷の子どもかもしれないとも解釈すべきだったのだ。そして、ジムに本当のお母さんはいるのだろうか?それとも、家族から引き離され、子どもだけで売られてきたのだろうか?といった空想を広げても良かったのだ。しかし私は、かなりいい加減に、神経散漫に翻訳本を読んでいたので、完全に見落としていた! しかも、私はエドワード・サイードの読者であり、J.M.クーツィアの大ファンでもあるのに。(英語で読んでいれば、黒人訛りで判断できたのかも知れない。もっとも私の英語力ではちょっと厳しいかもしれない)。


台詞から、一人の登場人物が黒人であること、つまり奴隷の子どもであると判断すること。こういうことは、文学作品とくに海外文学を読む時には非常に大事なポイントだ。しかし、私(たち)はそういうことについて、システマティックな訓練を受けたことがない。また、英語読解において、そういう繊細な読解力は全く問われてこなかった。そして、あまりにもナイーブに英語を読んできたのだ。つまり、英語読解能力が十分ではなかったということでもあるわけだ。

差別的社会を読み取る教育というのは、子どもには難しすぎると言えるだろうか? そんなことはない。『ハリーポッター』にでてくる「屋敷しもべ妖精」というのは、かつての黒人の屋敷奴隷の存在を想起させているのである。実際、英語圏の子どもたちは、ハリポタの屋敷奴隷妖精について議論してきているのである。



追加

次のコミカルなシーンは、子ども奴隷と女ご主人様のものだと思うと感慨深い。また、「ジムは人間以上のものではなかった」という文章も、ちょっと深い意味を持っているように見えてくる。