林間教育通信(「東大式個別ゼミ」改め「シリウス英語個別塾」)

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ビジネス・マインドの勘違いーー無名大学の学生を勝ち組にするだって?

2010年12月09日 | 受験
インターネットのアゴラというサイトに 松岡祐紀という人が『「大卒」という資格の幻想 』という投稿をしていた。これはビジネスマインドによって目が曇り、勘違してしまった議論の典型だった。

松岡氏は次のように述べる。

「今の時代、就職に有利になるために大学に入るのであれば、「一流大学」に入学する以外あまり意味がない。それ以外の大学に入った大学生はすでにその時点で、就職レースにおいては圧倒的に不利な立場に立っており、これを覆すことはほとんど不可能に近い」。

この現状認識に立って次のように提案する。

「今後、無名大学出身者は起業や海外移住など既存の出世コース以外の選択をする以外に、有名大学卒に生涯年収で勝てる見込みはない」。だから、「その大学内でも優秀な学生を集めて、『起業家セミナー』や『海外就職コース』などを」作るべきではないかと提案する。

彼が正しいと信じているのは、負け組が勝ち組になることのできる社会である。

「健全な社会とは『下克上可能な社会』である。無名大学卒でも『勝てる仕組み、あるいは負けない仕組み』を大学側で学生に提案し、彼らの希望をむやみに殺さないこと」 が大事ではないかと訴える。





一見すると松尾氏は正論だし、フェアな社会を模索しているように見える。例えば、無名大学の学生もも大卒という資格に期待感を持っているが、それは全くの幻想で就職上は相手にされないと指摘している。私もここまでは賛成だ。だがその処方箋となると、甚だしい勘違いがあるように思われる。

根本的問題は大きく二つあるだろう。一つは、無名大学の優秀な学生のために教育しようという考え方だ。1%いるかどうかくらいの優秀な学生のために、大学が資金や人材を注ぎこめとでも言うのであろうか。一部の生徒のみに依怙贔屓しようとするやり方は,学校経営上からみて非常に不健全な発想である。そんな学校などは潰れてしまえばよいのだ。

もう一つの根本的問題は、「勝てる見込み」とか「下克上」といった言葉で現状を理解しようとしている点である。要するに、ビジネスをする連中の考え方だ。しかし、勝つことがそんなに大事なのだろうか。そのゲームで負けたら、命を取られてしまうほどの一大事なのだろうか。

端的にいって、無名大学の使命(ミッション)には「勝ち組」の育成セミナーなどは不要なのだ。「勝ち組」になろうとは思わなかったからこそ、無名大学を選択した学生がほとんどなのだ。そして、そういった大学では、将来の中堅の社会人を育成する事が求められている。「勝ち」を取りに行くような野心をいたずらに刺激するのではなく、堅実に学び働くことができるような基礎的学問を与え、路頭に迷うことなく人生を送ることができるように指導していくべきである。

世の中には、高収入だとか最大限の利得を良しとする考え方ばかりでなく、自らの生活を守り、リスクを減らし、ときには互いに助け合って生きていく考え方があることも教えなければならないだろう。

どうしても、経済的に成功してお金持ちなりたいとか、一流大企業に就職したいという学生がいるならば、再受験して一流大学に合格する事を強く奨めるべきだ。

付け加えれば、経済的成功者になりたいとか、お金持ちになりたいという欲望が無名大学で蔓延る(はびこる)のは、望ましいことではない。一つにはそれがあまり現実的ではないこと、もう一つはそういう欲望が強くなれば、学生が大きな「賭け」に出てきてしまう恐れもあるからだ。無名大学の学生ができることといえば、例えば、芸能人になることだ。分かりやすく言えば、 AV 女優になって、第二の飯島愛を目指す道である。あるいは、パチンコや競馬で勝負する。統計的データはないが、 AV 女優とパチンコ中毒を減らすことは、無名大学にとってちょっと大きな課題ではないかという気さえするのだ。

こんなふうに書いてはみたが、大学の側は松岡氏の提案に賛成する者もいるかもしれない。しかし、繰り返し述べるが、それは決して望ましいことではない。その大学の大半の大学生の利益になる改革案ではないからだ。