林間教育通信(「東大式個別ゼミ」改め「シリウス英語個別塾」)

私立中高一貫校生徒を対象とする英語個別指導塾。小田急線の東林間駅(相模大野と中央林間の隣駅)から徒歩3分。

英語教師とリベラルの考え方(続編) (青学の「ひめゆり退屈」問題)

2010年12月15日 | 英語学習
英語教育となると、前回書いたように、なぜかアメリカ民主党的なイデオロギーを私は感じてしまう.アメリカの英語教育関係者を支配しているのが、アメリカに民主党であり、リベラルマインドだからではないかと想像する。

しかし日本の英語教師は、移民や留学生に英語を教えるアメリカの人の英語教師とは違う。もっと社会の中核に関わる人たちである。だから、アメリカや英語は好きだが、アメリカのリベラリズムは嫌いだという人も少なからずいるんじゃないか。日本人の英語教師は、アメリカン・リベラリズム一辺倒の日本の英語教育に満足できるのだろうか。

ちょっと考えてみれば判るけれども、日本の英語関係の大御所といえば、リベラルには國弘正雄がいるかもしれないが、保守には渡部昇一がいる。ともに1930年生まれだ。渡部昇一がアメリカン・リベラリズムについてどう思ってるのか私はよく分らない。(こういう英語関係の保守の論客がアメリカン・リベラリズムと正面から対決してくれたら面白いと思うんだけれども、おそらくあまりないか、ほとんど無いんじゃないかな。誰か教えてください)。けれども、日本のリベラルとか、左翼については、大反対の姿勢であることは確かで、そうなると、やっぱりアメリカン・リベラリズムだってそんなに好きじゃないだろう。

まとめてみると、日本の英語教育で用いられる英文はアメリカン・リベラリズムのものが多いけれども、日本の英語教師は必ずしもそれに共感を覚えているものばかりではないだろうし、渡部昇一のように日本的保守・右翼(反左翼、反中国、反韓国)を支持する人も少なからずいるのではないか、ということになる。ではどうしたらいいのかと言われると、私に答えがあるわけではない。ただそういう不満がくすぶっているに違い無い、そしてそれを単に隠蔽するだけではダメなんではないかという問題提起をするにとどまる。以上が私の問題意識であり、作業仮説である。

さて、こういった問題意識を持ちながら、2005年に大きく問題になった青山学院高等部の英語の入試問題をもう一度読んでみようと思うのである。これは、沖縄に修学旅行に言った日本人の高校生が、ひめゆりの証言が退屈であるという内容を正直に綴った感想文(英語)を書いたという設定の文章である。(写真参照のこと)

この入試問題は、大いに問題になり、青山学院高等部側は即刻に謝罪した。しかし、英語教育と沖縄ひめゆりについての本格的な検討には入っていないようだ。青学英語教師を支持する意見も、青学英語教師バッシングする側も、英語教育についての配慮がちょっとなさすぎるように思えたのだ。(続く)