シルバーウィークも、後半。
連休といえども、家族それぞれ用事があってすれ違い状態だったのだが、今日1日だけ家族みんなポッカリと時間が空いたので、日帰りで外出してきた。
行き先は、日本ピラミッドの葦嶽山。
興味のない人にとっては、「???」という名称だと思う。
でも、あるんです。ピラミッド。日本に。
ちゃんと、広島県の観光サイトにも掲載されています。
http://www.kankou.pref.hiroshima.jp/sys/data?page-id=4208
まぁ、その真偽は別として、以前から興味があったし、何よりも、せっかくの連休に敢えて人が集まることが分かっている場所へ行くよりも、人が集まらなさそうな自然の中で過ごした方が絶対に良いので、朝8時に出発して、10時に現地に到着。
駐車場に車を停めると、さっそく遊歩道へと。
しかし。
ちょっと、タカをくくっていたかも。
遊歩道が整備されているといえども、中国山地の800m級の山々が連なる山の中。
ハイキングというよりも、登山。
いや、山を歩き慣れていないワタシ達にとっては、登山というよりも、山岳修験道 (ー ー;)
娘なんて、何も考えずにコンバースのハイカットを履いてきたもんだから、最初の登り坂の途中で早くも弱音を吐く始末。
「急がなくてもいい。自分のペースで良いから後からおいで。母さんが一緒にいるから」
と早々にへたり込んだ娘にそう告げて、ワタシと息子が先に行く。
「お姉ちゃん、大丈夫かな?」
心配性の息子が、歩きながらワタシにそう尋ねる。
「別に急ぐ必要はない。目的地は決まってるんだから、ゆっくりたどり着けばいい」
ワタシは、肩で息をしながらそう答えた。そして、こう続けた。
「人と、一緒。人生と、一緒」
なかなか良いこと言うじゃん、オレ・・・と心の中で自画自賛をしながら息子の返事を待った。が、反応がない。
振り返ると、息子は登り坂を歩くのに必死で、ワタシの言葉などまるで耳に届いていない様子。
しかししばらくして、まるでその代わりのように、人が生きていく上で、ワタシの金言よりも遥かに大切な言葉を、息子は口にした。
「水筒ちょーだい。水」
30分ほど歩いて、頂上に到着。
振り返ると、遥か向こうまで中国山地の山々が。
知り合いにも何人か登山が趣味の人がいて、その人達から登山の話を聞いたり、snsの投稿を見たりすることがあるのだが、正直に言えば、今まではその面白さや楽しさがさほど分からなかった。
でも、山頂で感じる心地よい風や眺望のよい景色を眺めていると、何となく分かるような気がした。
山頂の看板。
真の目的地は、看板の左側にある「巨石群」
さぁ、行くか!と、しばらく休憩してから立ち上がると・・・
「ここで待っているから、行っておいで」
山頂からの景色で一定の満足感を得てしまったのか、妻と娘は、ワタシと息子にそっけなくそう言った。
尾根づたいに隣の鬼叫山(それにしても凄い名前の山だ)へ。
急な斜面に何度か足を取られながら、一旦山を降りるや否や、目の前の斜面に奇妙な巨石群が現れた。
説明板には「ドルメン」と書かれてある岩。
明らかに人の手によって加工されたように見える。
説明によると、供物を置いた場所らしい。
獅子岩と呼ばれる巨石群。
上の写真の亀裂は、ほぼ東西南北を示すらしい。
下の写真の亀裂は、自然のものとは到底思えない。
「神武岩」と呼ばれる石柱。
戦前には同じような石柱が周囲に何本も屹立していたらしいのだが、“石の下に神武天皇の財宝が隠されている”という噂が立ち、心ない人たちが次々と石を倒してしまい、今ではこの石柱1本だけになったそうだ。
この石柱の上部が見える場所に移ってみた。
ほぼ正方形。
しかも綺麗な円にくり抜いた痕跡があった。
説明板によると、ここに綺麗に磨かれた玉が置かれていていたとか・・・。
他にも奇岩や巨岩が周囲の至る所に。
どうしてこんな標高の高い、安易に訪れることができない山奥に存在しているのか、首を傾げたくなる。
振り返ると、妻と娘がその山頂で待っている葦嶽山が見えた。
手前の樹木が遮っているので分かりにくいが、その山容は、極めて綺麗な円錐形をしていた。
巨石群の説明板が真実なら、この巨石群の辺りは、葦嶽山を拝むための拝殿だったのだそうだ。
巨石群を後にして、再び葦嶽山の山頂で妻たちと合流すると、登ってきた遊歩道を再び駐車場へと辿った。
途中、二股に別れた道が現れた。
看板を見ると、どちらの道を辿っても駐車場へは行けるようだ。
ワタシは、行きの道とは違う道を行こうとした。
すると、そんなワタシを娘が呼び止めた。
「知らない道、歩かなくてもいいじゃん。何があるか分からないよ」
その言葉を聞いて、ワタシは言った。
「看板を見てみろ、どっち歩いても駐車場まで行ける。知らない道って言っても、見てみろよ、轍があるだろ?誰かが歩いた証拠だから、大丈夫だよ。行きと同じ道を歩いたって、つまらんだろ」
続けて、人と、一緒。人生と、いっし・・・と言おうとしたのだけど、登山の間、終始ゼェゼェと肩で息をしていたワタシは、ゴールが近づいた安堵感からか、突然、胸がつかえて、オエッと、嘔吐いてしまった。
すると、息子がひと言、呆れたようにこう言った。
「タバコ、やめたら?」
連休といえども、家族それぞれ用事があってすれ違い状態だったのだが、今日1日だけ家族みんなポッカリと時間が空いたので、日帰りで外出してきた。
行き先は、日本ピラミッドの葦嶽山。
興味のない人にとっては、「???」という名称だと思う。
でも、あるんです。ピラミッド。日本に。
ちゃんと、広島県の観光サイトにも掲載されています。
http://www.kankou.pref.hiroshima.jp/sys/data?page-id=4208
まぁ、その真偽は別として、以前から興味があったし、何よりも、せっかくの連休に敢えて人が集まることが分かっている場所へ行くよりも、人が集まらなさそうな自然の中で過ごした方が絶対に良いので、朝8時に出発して、10時に現地に到着。
駐車場に車を停めると、さっそく遊歩道へと。
しかし。
ちょっと、タカをくくっていたかも。
遊歩道が整備されているといえども、中国山地の800m級の山々が連なる山の中。
ハイキングというよりも、登山。
いや、山を歩き慣れていないワタシ達にとっては、登山というよりも、山岳修験道 (ー ー;)
娘なんて、何も考えずにコンバースのハイカットを履いてきたもんだから、最初の登り坂の途中で早くも弱音を吐く始末。
「急がなくてもいい。自分のペースで良いから後からおいで。母さんが一緒にいるから」
と早々にへたり込んだ娘にそう告げて、ワタシと息子が先に行く。
「お姉ちゃん、大丈夫かな?」
心配性の息子が、歩きながらワタシにそう尋ねる。
「別に急ぐ必要はない。目的地は決まってるんだから、ゆっくりたどり着けばいい」
ワタシは、肩で息をしながらそう答えた。そして、こう続けた。
「人と、一緒。人生と、一緒」
なかなか良いこと言うじゃん、オレ・・・と心の中で自画自賛をしながら息子の返事を待った。が、反応がない。
振り返ると、息子は登り坂を歩くのに必死で、ワタシの言葉などまるで耳に届いていない様子。
しかししばらくして、まるでその代わりのように、人が生きていく上で、ワタシの金言よりも遥かに大切な言葉を、息子は口にした。
「水筒ちょーだい。水」
30分ほど歩いて、頂上に到着。
振り返ると、遥か向こうまで中国山地の山々が。
知り合いにも何人か登山が趣味の人がいて、その人達から登山の話を聞いたり、snsの投稿を見たりすることがあるのだが、正直に言えば、今まではその面白さや楽しさがさほど分からなかった。
でも、山頂で感じる心地よい風や眺望のよい景色を眺めていると、何となく分かるような気がした。
山頂の看板。
真の目的地は、看板の左側にある「巨石群」
さぁ、行くか!と、しばらく休憩してから立ち上がると・・・
「ここで待っているから、行っておいで」
山頂からの景色で一定の満足感を得てしまったのか、妻と娘は、ワタシと息子にそっけなくそう言った。
尾根づたいに隣の鬼叫山(それにしても凄い名前の山だ)へ。
急な斜面に何度か足を取られながら、一旦山を降りるや否や、目の前の斜面に奇妙な巨石群が現れた。
説明板には「ドルメン」と書かれてある岩。
明らかに人の手によって加工されたように見える。
説明によると、供物を置いた場所らしい。
獅子岩と呼ばれる巨石群。
上の写真の亀裂は、ほぼ東西南北を示すらしい。
下の写真の亀裂は、自然のものとは到底思えない。
「神武岩」と呼ばれる石柱。
戦前には同じような石柱が周囲に何本も屹立していたらしいのだが、“石の下に神武天皇の財宝が隠されている”という噂が立ち、心ない人たちが次々と石を倒してしまい、今ではこの石柱1本だけになったそうだ。
この石柱の上部が見える場所に移ってみた。
ほぼ正方形。
しかも綺麗な円にくり抜いた痕跡があった。
説明板によると、ここに綺麗に磨かれた玉が置かれていていたとか・・・。
他にも奇岩や巨岩が周囲の至る所に。
どうしてこんな標高の高い、安易に訪れることができない山奥に存在しているのか、首を傾げたくなる。
振り返ると、妻と娘がその山頂で待っている葦嶽山が見えた。
手前の樹木が遮っているので分かりにくいが、その山容は、極めて綺麗な円錐形をしていた。
巨石群の説明板が真実なら、この巨石群の辺りは、葦嶽山を拝むための拝殿だったのだそうだ。
巨石群を後にして、再び葦嶽山の山頂で妻たちと合流すると、登ってきた遊歩道を再び駐車場へと辿った。
途中、二股に別れた道が現れた。
看板を見ると、どちらの道を辿っても駐車場へは行けるようだ。
ワタシは、行きの道とは違う道を行こうとした。
すると、そんなワタシを娘が呼び止めた。
「知らない道、歩かなくてもいいじゃん。何があるか分からないよ」
その言葉を聞いて、ワタシは言った。
「看板を見てみろ、どっち歩いても駐車場まで行ける。知らない道って言っても、見てみろよ、轍があるだろ?誰かが歩いた証拠だから、大丈夫だよ。行きと同じ道を歩いたって、つまらんだろ」
続けて、人と、一緒。人生と、いっし・・・と言おうとしたのだけど、登山の間、終始ゼェゼェと肩で息をしていたワタシは、ゴールが近づいた安堵感からか、突然、胸がつかえて、オエッと、嘔吐いてしまった。
すると、息子がひと言、呆れたようにこう言った。
「タバコ、やめたら?」
サルトルの域まで達してません (^^;;
りきるさん、山登りで哲学してるじゃないですか(笑)。