ひろむしの知りたがり日記

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木村政彦と大山倍達 (1) ─ 受け継がれた“鬼”の魂

2014年09月09日 | 日記
前回の日記では、強い男に憧れるひろむし少年が、ハートを鷲づかみにされた『空手バカ一代』について語りました。少年にこのマンガを手に取らせたのは、彼が当時熱中していた柔道がきっかけで呼び起こされた武道全般に対する興味でしたが、彼は『空手バカ一代』を通して、そもそもの出発点である柔道の世界の巨人とも遭遇することになります。

それは、「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と謳われた木村政彦です。木村は「超人追究編」「無限血闘編」に続く「悲願熱涙編」に登場します。
『空手バカ一代』で大山倍達が木村と出会うのは、倍達がアメリカに渡ってプロレスラーやボクサーと死闘を繰り広げ、日本に帰国して間もなくのことでした。稼いだファイト・マネーで目白に豪邸を構え、結婚して新生活を始めた倍達ですが、友人の借金の保証人になったために新居を奪われ、途方に暮れていた時に、プロ柔道家となっていた木村と出会います。
実際に倍達と木村が知り合うのはもっと若い頃の話ですが、そのことについて書く前に、まずは木村がプロ柔道に身を投じるまでの経歴を見ておくことにしましょう。

文庫『空手バカ一代』⑤巻に木村が登場

木村政彦は大正6(1917)年9月10日、熊本市外の川尻町大渡(現在は熊本市)の貧しい砂利採り人夫の子として生まれました。幼い頃から父の仕事を手伝っていましたが、川底の砂利採りという過酷な仕事で強靭な腕力と足腰が培われた木村は、旧制鎮西中学(現在の鎮西高校)柔道部でその才能を発揮し、“熊本の怪童”として全国に名を轟かせました。
家が貧乏なため大学には進学せず、そのまま父の仕事を手伝うことになっていましたが、同郷熊本の出身で、当時東京で拓殖大学師範をしていた牛島辰熊<たつくま>が、木村の並外れた才に目をつけます。

牛島はそのこわもての風貌と、あまりの強さから“鬼の牛島”と呼ばれていました。全日本選士権などで5度の日本一に輝きましたが、皇室にまつわる記念の年に開かれる天覧試合だけは、2度挑戦の機会がありながら、最初は辛くも準優勝に止まり、次も胆石を患って苦痛に耐えながら善戦するも、不本意な結果に終わりました。牛島が己の無念を代わりに晴らす逸材として選んだのが、木村政彦だったのです。牛島は木村を自宅で開く牛島塾に引き取り、拓殖大学予科に入学させました。

『実録 柔道三国志・続』。表紙の写真は牛島辰熊

“鬼”が見込んだだけあって、木村の柔道に対するのめり込みぶりは、尋常なものではありませんでした。“3倍努力”を信条とするその練習量は、実に凄まじいものでした。朝5時に起床すると、すぐ庭に出て、巻き藁を突く空手のトレーニングをします。なぜ柔道を学ぶ木村が空手かといえば、この巻き藁突きが、手首と握力の両方を鍛えるのに効果的だったからだそうです。
それから塾内外の掃除を済ませ、朝食をとって拓大へ。授業後はさっそく柔道部の稽古です。それが終わると今度は近くの高等師範学校(現在の筑波大学)の道場から警視庁、講道館と順番に回ります。締めは深川にあった満蒙開拓義勇軍と近所の青少年の鍛錬のために、加藤寛治<ひろはる>が造った150畳の柔道場です。こうして木村が赤坂の牛島塾へ戻るのは、10時、11時になることも珍しくありませんでした。

木村の1日は、まだ終わりません。牛島はしばしば真夜中に木村が巻き藁を突き、樫の木を相手に打ち込みをする音を聞いて目を覚ましたといいます。
布団に入った後も、その日の稽古内容を思い出しては、あの技はこうかければよかった、あの時はああすれば・・・などとあれこれと考えをめぐらせ、何か思いつくと布団から飛び出して裏庭で稽古に没頭しました。こんな具合ですから、彼の睡眠時間は日にたった2、3時間でした。昼も夜もない、まさに柔道漬けの毎日です。

それだけ練習すれば、強くならないほうがどうかしています。拓大予科に進学した昭和10(1935)年から、木村は連勝街道を突っ走ります。同15年6月には、ついに師から託された天覧試合制覇の悲願を、全試合一本勝ちという快挙をもって成し遂げます。
木村は師から悲願だけではなく鬼の名も受け継ぎ、“鬼の木村”と呼ばれるようになりました。負け知らずの彼は戦争を挟んで終戦後に開かれた全日本選手権でも優勝し、15年不敗という記録を打ち立てたのです。

戦後、GHQによって軍国主義的であると武道が疎まれ、柔道家たちは食べていけなくなります。そんな中、妻の斗美が結核にかかり、その薬代を稼がなければならない木村は、恩師である牛島の旗揚げしたプロ柔道に転じます。それは、昭和25年のことでした。


【参考文献】
原康史著『実録 柔道三国志・続』東京スポーツ新聞社、1977年
木村修著『『空手バカ一代』の研究』アスペクト、1997年
梶原一騎原作、つのだじろう漫画『空手バカ一代』(文庫版・第5巻)講談社、1999年
拓殖大学柔道部百年史編集委員会編『拓殖大学柔道部百年史 拓魂の軌跡』
 拓殖大学柔道部OB、2002年
増田俊也著『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』新潮社、2011年