1959年4月29日、ブルース・リーら詠春派の若者は、蔡李仏<チョイリーフット>派の塾生たちから挑戦を受けます。決戦の場所には、難民収容地区のアパートメントの屋上が選ばれました。そこにはバスケットボール・コートのような白線が引かれており、敵を線の向こうに押しやった方が勝ちというルールでした。最初は友好的なスパーリング戦だったのが、蔡李仏派の少年の1人がブルースの目に痣を作ると、逆上した彼はいきなりストレート・パンチを連続的に繰り出しました。顔を数度殴られて線上に倒れた相手に、怒りの収まらないブルースは2、3度痛烈な蹴りを入れ、そのために少年は歯が1本欠けてしまいました。
少年の両親が警察に苦情を言ったため、母親のグレースは警察署にブルースを引き取りに行き、責任をもって息子の行いを改めさせるという誓約書にサインをしなければなりませんでした。彼女は事件のことを家族には一言も話しませんでしたが、わが子の将来を案じて、役者である夫の李海泉<リーハイチュアン>の海外巡業中に生まれたブルースを、生誕の地であるサンフランシスコに行かせて市民権を取らせた方がいいと海泉に提案します。こうしてブルースは単身渡米し、葉問のもとを去ることになります。
やがて時が過ぎ、愛弟子がアメリカのテレビ界で有名になったことをたいへん喜んでいた葉問ですが、1965年にブルースが一時帰国した際に、師弟の間に亀裂が入る出来事が起こります。
ブルースは分譲マンションを購入することを条件に、葉問自身が演武する詠春拳の全ての技を、8ミリカメラに収めたいと申し出ました。以前から腕力と金で物事を解決しようとするブルースの性向に懸念を抱いていた葉問は、その申し出に烈火の如く怒り、すぐさま彼を追い返してしまいました。後日、葉準<イップチュン>が仲介に入って両者は和解しましたが、ブルースは事実上破門された形になり、以降2人は再会しても詠春拳について語り合うことはありませんでした。
ブルースが申し出た撮影は実現しませんでしたが、後に葉問が木人椿<ぼくじんとう>という腕に見立てた横木をはめ込んだ太い柱を相手に1人練習をしている姿などを葉準が映像に収めています。映画監督のウォン・カーウァイは1999年にそれを見て感激し、長い準備期間を経て完成させたのが「グランド・マスター」(トニー・レオン主演。日本公開2013年5月31日)です。また「イップ・マン 最終章」(アンソニー・ウォン主演。日本公開2013年9月28日)のエンディングでも、葉問の練習風景の映像が使われています。
このように、伝説的なグランド・マスターが拳法を披露する姿を現在も見ることができるのはたいへん貴重なことであり、ウォン・カーウァイ監督ならずとも感激ものであることはいうまでもありません。師の怒りを買ったとはいえ、もし自らの技を映像記録に残す必要性を感じるきっかけとなったのがブルースであったとしたら、彼の失敬な申し出も、まんざら無駄ではなかったことになります。
晩年の愛と闘いを描いた「イップ・マン 最終章」
最後に、ブルースがアメリカに去った後の葉問の人生について簡単に触れておきましょう。
1961年頃から彼の直弟子たちが次々と独立し、詠春拳は香港の一大門派となりました。1964年には自身の武館を閉鎖し、それからは九龍・旺角通菜街の一室で個人教授のみ行うようになりした。そして1968年に悲願だった詠春聯誼會(後の詠春體育會)の設立を見届け、4年後の1972年12月1日、数多くの弟子たちに見送られて、旺角の自宅で79年の生涯を閉じます。そしてブルースが師の後を追うように32歳の若さで他界したのは、それからわずか半年後の1973年7月20日でした。
「グランド・マスター」のラストは、ブルースの次の言葉で締め括られています。
“A true martial artist does not live for. He simply lives.(真の武術家は拳法のために生きるのではなく、ただ単に生きるのだ)”
価値観の相違から、袂を分かつことになってしまった葉問とブルースですが、武術の高みを追究することが、すなわち生きることと同義であったという点では、2人とも共通していたはずです。口には出さなくても、お互いにそうした武術家としての魂の純粋さだけは認め合っていたと信じたいものです。
そうであってこそ初めて、「イップ・マン 葉問」の謳い文句である「その心と技は、ブルース・リーに受け継がれた─」が、単なる宣伝用のキャッチ・フレーズではなく、真実の言葉となるのです。
【参考文献】
リンダ・リー著、柴田京子訳『ブルース・リー・ストーリー』キネマ旬報社、1993年
四方田犬彦著『ブルース・リー 李小龍の栄光と孤独』晶文社、2005年
上野彰郎著『ブルース・リー 駆け抜けた日々 ─急死の謎と疑惑─』愛隆堂、2005年
松宮康生著『ブルース・リー最後の真実』ゴマブックス、2008年
みうらじゅん他著『現代思想』10月臨時増刊号「ブルース・リー 没後40年、蘇るドラゴン」青土社、
2013年第41巻第13号
東宝ステラ編『グランド・マスター』東宝、2013年
ポール・ボウマン著、高崎拓哉訳『ブルース・リー トレジャーズ』トレジャーパブリッシング、2014年
少年の両親が警察に苦情を言ったため、母親のグレースは警察署にブルースを引き取りに行き、責任をもって息子の行いを改めさせるという誓約書にサインをしなければなりませんでした。彼女は事件のことを家族には一言も話しませんでしたが、わが子の将来を案じて、役者である夫の李海泉<リーハイチュアン>の海外巡業中に生まれたブルースを、生誕の地であるサンフランシスコに行かせて市民権を取らせた方がいいと海泉に提案します。こうしてブルースは単身渡米し、葉問のもとを去ることになります。
やがて時が過ぎ、愛弟子がアメリカのテレビ界で有名になったことをたいへん喜んでいた葉問ですが、1965年にブルースが一時帰国した際に、師弟の間に亀裂が入る出来事が起こります。
ブルースは分譲マンションを購入することを条件に、葉問自身が演武する詠春拳の全ての技を、8ミリカメラに収めたいと申し出ました。以前から腕力と金で物事を解決しようとするブルースの性向に懸念を抱いていた葉問は、その申し出に烈火の如く怒り、すぐさま彼を追い返してしまいました。後日、葉準<イップチュン>が仲介に入って両者は和解しましたが、ブルースは事実上破門された形になり、以降2人は再会しても詠春拳について語り合うことはありませんでした。
ブルースが申し出た撮影は実現しませんでしたが、後に葉問が木人椿<ぼくじんとう>という腕に見立てた横木をはめ込んだ太い柱を相手に1人練習をしている姿などを葉準が映像に収めています。映画監督のウォン・カーウァイは1999年にそれを見て感激し、長い準備期間を経て完成させたのが「グランド・マスター」(トニー・レオン主演。日本公開2013年5月31日)です。また「イップ・マン 最終章」(アンソニー・ウォン主演。日本公開2013年9月28日)のエンディングでも、葉問の練習風景の映像が使われています。
このように、伝説的なグランド・マスターが拳法を披露する姿を現在も見ることができるのはたいへん貴重なことであり、ウォン・カーウァイ監督ならずとも感激ものであることはいうまでもありません。師の怒りを買ったとはいえ、もし自らの技を映像記録に残す必要性を感じるきっかけとなったのがブルースであったとしたら、彼の失敬な申し出も、まんざら無駄ではなかったことになります。
晩年の愛と闘いを描いた「イップ・マン 最終章」
最後に、ブルースがアメリカに去った後の葉問の人生について簡単に触れておきましょう。
1961年頃から彼の直弟子たちが次々と独立し、詠春拳は香港の一大門派となりました。1964年には自身の武館を閉鎖し、それからは九龍・旺角通菜街の一室で個人教授のみ行うようになりした。そして1968年に悲願だった詠春聯誼會(後の詠春體育會)の設立を見届け、4年後の1972年12月1日、数多くの弟子たちに見送られて、旺角の自宅で79年の生涯を閉じます。そしてブルースが師の後を追うように32歳の若さで他界したのは、それからわずか半年後の1973年7月20日でした。
「グランド・マスター」のラストは、ブルースの次の言葉で締め括られています。
“A true martial artist does not live for. He simply lives.(真の武術家は拳法のために生きるのではなく、ただ単に生きるのだ)”
価値観の相違から、袂を分かつことになってしまった葉問とブルースですが、武術の高みを追究することが、すなわち生きることと同義であったという点では、2人とも共通していたはずです。口には出さなくても、お互いにそうした武術家としての魂の純粋さだけは認め合っていたと信じたいものです。
そうであってこそ初めて、「イップ・マン 葉問」の謳い文句である「その心と技は、ブルース・リーに受け継がれた─」が、単なる宣伝用のキャッチ・フレーズではなく、真実の言葉となるのです。
【参考文献】
リンダ・リー著、柴田京子訳『ブルース・リー・ストーリー』キネマ旬報社、1993年
四方田犬彦著『ブルース・リー 李小龍の栄光と孤独』晶文社、2005年
上野彰郎著『ブルース・リー 駆け抜けた日々 ─急死の謎と疑惑─』愛隆堂、2005年
松宮康生著『ブルース・リー最後の真実』ゴマブックス、2008年
みうらじゅん他著『現代思想』10月臨時増刊号「ブルース・リー 没後40年、蘇るドラゴン」青土社、
2013年第41巻第13号
東宝ステラ編『グランド・マスター』東宝、2013年
ポール・ボウマン著、高崎拓哉訳『ブルース・リー トレジャーズ』トレジャーパブリッシング、2014年