ひろむしの知りたがり日記

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小川笙船と小石川養生所

2012年03月18日 | 日記
山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』に登場する小石川養生所の医長「赤ひげ」こと新出去定<にいできょじょう>は、腕は一流ながら、どこまでも自分流を押し通す剛腕医師です。

一見頑なな態度の裏に激しい情熱を秘め、病の多くを生み出す貧困や無知に対して敢然と闘いを挑む去定には、実在のモデルがあります。徳川8代将軍吉宗時代の享保7(1722)年1月21日、庶民の意見を広く汲み上げる目的で設置された目安箱に投書し、貧困者のための無料診療所をつくることを訴えた小川笙船です。

彼は伝通院近くの麹町12丁目(現在の東京都新宿区)の三郎兵衛店に住む町医者でした。笙船は嘆願書の中で、役得をむさぼる町名主を糾弾し、名主無用論を展開しています。
「赤ひげ」に負けず劣らず、なかなかの反骨精神の持ち主だったようです。


当時、江戸には農村部から大量の人々が流入してきていました。貧しく、独身の者も多かったので、病気になっても医者に診てもらったり薬を買う金がなく、看病してくれる家族すらいないという有様でした。
そんな状況でしたので、吉宗は江戸南町奉行の大岡忠相と北町奉行の中山時春に、笙船の案について検討を命じました。そして同年12月4日、小石川御薬園内に施薬院がつくられ、間もなく養生所と改称されました。笙船は養生所を支配する肝煎<きもいり>に任じられ、その役職は小川家が代々世襲しました。

 小石川植物園に残る養生所の井戸

しかし、立ち上げは決して順調なものではなかったのです。

開設直後は無料医療施設としての趣旨が理解されず、薬園でできた和漢薬の効能を試す実験台にされるとの風評が広がったため、入所希望者はあまりいませんでした。
そこで翌8年7月以降、町奉行所は江戸中の町名主を養生所に集めて施療の様子を見学させました。また、入所の条件を緩和し、当初は看病する人のいない者だけが対象だったのを、2月には極貧の病人であれば、看病人や親方などがいても収容することにしました。さらに同10年には行倒人や寺社奉行支配地の者にも門戸を開きました。診療科も最初は本道(内科)だけでしたが、外科と眼科を増設しました。

こうしたさまざまな改革の結果、入所希望者は次第に増えていきました。はじめは通院して治療・投薬を受ける患者もいたのですが、享保8年8月以後、医師の手が足りなくなって通院制度を廃止しました。それでも足りず、本道2人、外科2人、眼科1人だったのを、翌年には本道7人、外科4人、眼科1人に増員しています。

入所者には夏は帷子<かたびら>、冬は布子<ぬのこ>が支給されました。また冬には、木綿の袋で包んだ一升徳利が湯たんぽとして配られました。入浴も、5・15・25日の月3回することができました。


ところが、天保期(1830-44)になると入所希望者が激減してしまいます。

理由は、養生所職員たちの間に蔓延していた腐敗です。
幕府から給付される役料が少なかったため、医師は投薬を渋るなど治療に対して不熱心でした。入所者の身辺の世話をする看病中間<ちゅうげん>も、患者に支給される諸物品を着服し、夜は博打や酒盛りに耽るという始末でした。食事の世話をする賄中間にも、余った飯を転売する不正行為が見られました。さらに病室の臭気はひどいもので、生活環境は劣悪でした。

町奉行所からは、与力・同心が派遣されて養生所の医療活動を監督していました。本当ならこのような状況を改善すべき立場にあった彼らも、縁側から見分するだけで病室に入ることさえしないという怠慢ぶりでした。こうした実態が、入所希望者の激減につながったのです。

奉行所も、決して何もしなかったわけではありません。
医師や与力・同心に対して職務に精勤するよう命じ、看病中間たちには不正行為を厳禁するなどの改善策を何度となく取りました。しかし、事態を好転させる決定打を打てないまま、明治維新を迎えるとともに養生所はその歴史に幕を閉じました。


 雑司ヶ谷霊園にある小川笙船の墓

貧民救済の理想に燃えて、施薬院の設立を願い出た小川笙船は、養生所がたどったこのような末路を、草葉の陰からいったいどのような思いで眺めていたのでしょうか。

笙船が亡くなったのは、養生所開設から38年後、終焉より108年前の宝暦10(1760)年6月14日のことです。89歳の長寿を全うしました。
墓は幾度か改葬されましたが、現在は東京都豊島区南池袋の雑司ヶ谷霊園にあり(墓碑の位置は1種5号4側)、先祖や子孫たちとともに眠っています。



【参考文献】
山本周五郎著『赤ひげ診療譚・五瓣の椿』(山本周五郎全集第11巻)新潮社,1981年
矢田挿雲著『新版 江戸から東京へ(8)小石川』中央公論新社,1999年
大石学著『首都江戸の誕生─大江戸はいかにして造られたのか』角川書店,2002年
加藤貴編『江戸を知る事典』東京堂出版,2004年