ひろむしの知りたがり日記

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牧野記念庭園─富太郎の私設植物園

2012年03月04日 | 日記
現在は区立の庭園になっている牧野富太郎の旧邸跡は、ファーブルにとってのアルマスと性格が似ています。どちらも人生の最期を過ごした家であり、庭に自らさまざまな草木を植えた研究所となっていました。

ファーブルの場合、それは周辺の昆虫を集めるのが主な目的でしたが、彼は植物にも造詣が深く、『ファーブル植物記』(平凡社ライブラリー、2007年刊他)など、日本で翻訳出版された著書もあります。

富太郎も若い頃、自分の決意を記した15ヵ条から成る勉強心得の中で、「植学に関係する学科は皆学ぶを要す」と書いていますから、植物とは持ちつ持たれつの関係にある昆虫は無視できない存在だったはずですし、水田と雑木林に囲まれ、「私の植物園」と言って愛した牧野邸の庭にも、豊富な樹木や草花に惹かれてたくさんの虫が集まって来たに違いありません。

そんな富太郎とファーブルがもし出会っていたら、一体どうなったでしょう?
(1823年生まれ、1915年没のファーブルと、1862年生まれ、1952年没の富太郎は、なんと生きた時代が50年も重なるのです!!)

生き物の研究に生涯を捧げた者どうし、意気投合したでしょうか。
あるいは、2人とも相当にガンコだったようなので、自説を曲げずに衝突したかもしれません。


しょうもないことを夢想しながら、ひろむしは日本版アルマス(?)、牧野記念庭園にやって参りました。

 牧野記念庭園正門前

大正15(1926)年、富太郎は東京郊外で武蔵野の面影が残る北豊島郡大泉村(現在の東京都練馬区東大泉)のこの地に移り住み、昭和32(1957)年に死去するまでの30年余りを過ごしました。
遺族の希望もあって、彼が亡くなるとすぐに東京都が公園として整備し、練馬区に移管されて翌年12月には早くも一般公開されました。平成20(2008)年には施設の老朽化による改修工事のために一時休園しましたが、同22年8月にリニューアルオープンしました。
改修工事中の同21年2月には、国の登録記念物(遺跡および名勝地)に指定されています。

面積2,222.5平方メートルの園内には、300種を超える草木類が植裁されています。

たとえば、正門を入ってすぐの所に、富太郎が妻スエ子を想って詠んだ「家守りし妻の恵みや我が学び 世の中のあらむかぎりやすゑ子笹」の句碑がありますが、その前と、左手に少し離れて立つ富太郎の胸像の前には、妻の名から命名されたスエコザサが繁っています。
スエコザサの特徴は、葉の左右両側が少し内側にめくれていることと、葉の表面に細かな毛がはえていることだそうです。

 牧野富太郎の胸像

また、高知市内の仙台屋という店の前にあったのでその名がつけられたセンダイヤザクラや、区内では珍しい樹種であるヘラノキ(どちらも富太郎の命名で、「ねりまの名木」に指定されています)など、たくさんの貴重な植物を見ることができます。


「花在れバこそ吾れも在り」という富太郎の言葉が浮き彫りされた顕彰碑の奥には、書斎として使われていた部屋が屋根ごとすっぽりそのまま建物で覆われ(鞘堂と言います)、保存されています。
室内には植物を長持ちさせるために使用したガラス張りの「活かし箱」のほか、蔵書や色紙、家財道具などが置かれ、生前の暮らしぶりを偲ぶことができます。

 富太郎の書斎に置かれた「活かし箱」

書斎展示室の隣には記念館があります。館内の常設展示室では富太郎の生涯と業績を、パネルによる解説と、ゆかりの品々の展示によって紹介しています。
『日本植物志図篇』や『日本植物図鑑』などの著書はもちろん、明治14(1881)年に生まれ故郷の高知から初めて上京した時に内国勧業博覧会で買ったドイツ製の顕微鏡や、朝日文化賞や文化功労者・文化勲章の賞状や盾といったその栄誉を示すものから、反対に借金証書などという不名誉なものまであります。

おもしろいのは9つ残されているという印鑑で、自作したものもあります。中でもユニークなのは、ひらがなの「の」をそのまま伸ばして渦巻き模様のようにぐるぐる巻いて、「巻きの」→「牧野」と読ませるダジャレのようなハンコで、思わず失笑してしまいます。


常設展示室の奥は企画展示室で、現在は「牧野富太郎生誕150年記念企画展」と銘打って、「花との約束─植物図鑑と植物画」を開催中です(3月31日まで)。

この企画展では富太郎の代表的著作『牧野日本植物図鑑』の原図が初公開されています。
『牧野日本植物図鑑』は彼の死後も改訂増補を重ね、今も現役の植物図鑑として利用されていますが、漢字とカタカナによる文語体で書かれていた最初のものと、それをひらがなを使った平易なものに変えた『牧野新日本植物図鑑』、白黒だった植物画をカラー化した原色図鑑の3種が並べて展示されており、その変遷がよくわかります。

それに富太郎が研究上の参考として集めた、江戸から明治時代にかけて関根雲停(1804-77)や服部雪斎(1807-没年不詳)らによって描かれた植物画も展示されています。
近代的な植物学が日本に入って来る前のものとは思えない、あまりに精緻で写実的な絵に、驚きで目を見張ってしまいました。

いやァ、いいものを見たなぁ♪


今回牧野記念庭園を訪れて、富太郎が生まれてから今年で150年になるんだということに初めて気がつきました。
彼を敬愛するひろむしとしては迂闊でありましたが、この記念すべき年に、どこかの博物館やら生まれ故郷の高知やらで、企画展やイベントが行われるのではないかと秘かに期待しております^^

なにか情報があったら、ぜひ教えてくださいネ!



【牧野記念庭園・基本データ】
■所 在 地 東京都練馬区東大泉6-34-4
■入 園 料 無料
■開園時間 午前9時~午後5時
■休 館 日 毎週火曜日(祝休日に当たる場合は、その直後の祝休日でない日)
        年末年始(12月29日~1月3日)
■電話番号 03-3922-2920
■アクセス 西武池袋線・大泉学園駅南口より徒歩5分

【参考文献】
俵浩三著『牧野植物図鑑の謎』平凡社,1999年
渋谷章著『牧野富太郎 私は草木の精である』平凡社,2001年