3時のお茶の時間にリビングに集まって来た我が家族。
その日の話の中心は、なぜそっちに行ったかわからないのですが、
わたしの手帳とブログの話。
「母さん、手帳がこんなによく書けるね〜」
「ブログもよくそんなに毎日書けるね〜」
「そんなに好きだったら、手帳を生業として第二の人生歩んだら」と、
半分茶化しながら息子。
そう言われて、
「わたしの手帳って何?」と問い直す自分。
横から夫、
「結局、母さんは文字を書くのが好きなんじゃないか」。
「父さんなんて、仕事以外では面倒臭いもんな」。
そう言われてみたら、そうかもしれない。
わたし、
文字を書くのが好きなんだ。
お気に入りの用紙に、
お気に入りのペンで文字を書く・・・。
そういう自分が好きで(半分ナルシスト)、
文字が並んでいくのも好きで、
後から書いたものを読み返すのも好き。
わたしにとって書くことを満足させてくれるモノなんだと
夫からの指摘で納得。
そして、
書くこと自体が好きなだけじゃなく、
書くことで気持ちが整うのがいいのかなとも。
そのことを話したら、
最近、
長谷部誠著『心を整える』や、順天堂大学病院の小林先生の自律神経の本を読み返している息子、
したり顔で「確かに書くって大事だと本にもあった」だって。
じゃ、なぜ手帳なのか?
手帳って、
1冊を1年。
期限付きで使い続け、使い切れるものである存在なのがいいのかな。
しっかり書けば、1年でコンプリートするから。
書くことが好きな自分が、一定の満足感も感じられるモノなのですね。
毎日書くスペースは決まってて、
そんなに1日分は多くない。
書き続けると、1日1日もある程度の満足感がある。
さらにマンスリーにしてもウィークリーにしても、
時系列だから、
先を見通す、過去を振り返ることが簡単で、
自分の生活を立体的に見渡すことができる。
そう、
ここの部分、うまく表現できないのですが、
いわゆるデジタル管理だけだと、平面に時間軸がへばりついているように感じ、
ちょっと息苦しい。
手帳だと、
かなり広がりのある空間の中に身を置いているように感じるんですね。
それがとても開放感があって、心地よいんです。
まあ、
こういうことをちまちま、
わけわからず言ってる自分は
やっぱり「手帳オタク」なんだろうなと思います。
話は進んで、夫、
「母さんに限らず、日本人って、手帳を書くのが好きな人が多いんじゃない?」
なるほど、日本は「手帳文化」がありますね。
海外に住む友人と話してても、
お店にこれほど様々な手帳が溢れてる国ってないかもと思います。
使いやすい手帳、
目新しい視点の手帳、
表紙や用紙、綴じ方にこだわりのある手帳など、
一年中、
手帳メーカーが競って発売するので、
よりどりみどり、
自分好みの手帳を見つけることができます。
iphoneなどでスケジュールを管理する時代になっても、
一定数手帳が売れているのは、
珍しいことかもしれません。
そんな日本だから、
わたしのようなものが、
年がら年中ブログの中で「手帳、手帳」と言っていても、
理解し共感してくださる方々がいてくださる。
こんなオタクのこだわりを受け入れてくださる方々がいらっしゃる。
ありがたいなあと思います。
結論は、「わたしは手帳オタク以外の何者でもない」ということ。
オタクだから、ブログのみの発信で十分満足。
人に自分をアピールするものは何もなく、
むしろブログ界の片隅でボソボソつぶやいている
オタクなわたしのこだわりに気づき、
興味を持って聞いてくださる方々との出会いが何より嬉しくありがたい。
「手帳」で繋がっていける人たちとの交流が楽しい。
あたらめてそう思いました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今日の手仕事、1時間。
引き続き糸車のピーシング。
ちょっとずつ、ちょっとずつ。

散歩も欠かさず。
最近は公園や遊歩道を避け、誰もいない住宅街をあちこち歩くようにしてます。
冒頭写真は、
墓地近くの南向き日当たりの良い階段横に咲いてた「ヒルザキツキミソウ」。
かわいい花ですね〜。
ツツジも見頃になって来ました。
元気がでる色・色・色です。

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