元インドネシア代表監督、スリランカ代表監督(野中寿人- 66番の部屋)

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東ジャワ州代表チーム・・・VSフィリピン代表ナショナルチーム VOL -2

2012年08月17日 13時43分00秒 | バリ島、インドネシア国内の野球 ソフトボール


2007年の東南アジア競技大会(アジアンSEAゲームス)・・・
2009年のアジア選手権大会(アジアチャンピオンシップ)・・・
自分がインドネシア代表ナショナルチームを率いて・・・
フィリピン代表ナショナルチームとの戦いは・・・
2度とも、1人の男に封じられたのです・・・

その男の名は・・・
{ダーウィン デラカルサダ}



また昨年の東南アジア競技大会(アジアンSEAゲームス)でも・・・
インドネシア代表ナショナルチームはこの{デラカルサダ]にやられています・・・

更には・・・
2007年の11月・・・
台中で開催された北京オリンピックアジア代表選考を兼ねた・・・
アジア選手権大会(アジアチャンピオンシップ))においては・・・

あの星野ジャパン・・・

宮本を中心とした日本のプロ軍団で固めた・・・
日本代表ナショナルチームが大いに手こずり・・・
格下相手であるフィリピン代表ナショナルチームを相手に・・・
わずか10点しか取れなかった・・・

その時の投手がこの{デラカルサダ}です・・・

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第2戦の・・・
東ジャワ州代表チームは・・・
国体本番での手ごたえを伺うため・・・
全員投下の体制で試合に望みました・・・







先発はキャプテンのトゥエ・・・




ここで・・・
もう1人の選手を紹介してみます・・・

フィリピン代表の1番打者は・・・{ランス}
この男にも非常に痛い思い出があります・・・

2007年の東南アジア競技大会(アジアンSEAゲームス)・・・
フィリピン代表名ナショナルチームとの大死闘・・・
7回終了「0-0」の大勝負・・・
8回表のフィリピン代表名ナショナルチームの攻撃・・
2アウトランナー3塁で、打者は俊足の{ランス}・・・

彼の放った打球はやや三遊間よりのゴロ・・・
バウンドがやや跳ね上がり・・・
ショートがグラブに当てて前に落とし・・・
すぐさま拾って1塁へ送球・・・

1塁手の捕球と{ランス}の駆け込みがほぼ同時・・・
アウトとでも・・・セーフとでも取れる・・・タイミング・・・

しかし・・
運命の判定は・・・”セーフ”

この1点が決勝点となって・・・
「1-0」でフィリピン代表に惜敗したのでした・・・

その時の運命の打者が・・・この{ランス}なのです




そして・・・
フィリピン代表ナショナルチームは・・・
エースのデラカルサダが先発・・・

彼の先発は・・・
マニラ遠征に行く2週間前・・・
Facebookで連絡を取り合い・・・
先発については事前に約束をしてくれていました・・・





また・・・
我が東ジャワ州代表チームも・・・
2004年のインドネシア代表ナショナルチームの・・・
エースだったシンディーが登板・・・





当時の彼は・・・
135kmの速球と落差のあるカーブを持ち・・・

2004年のアジア選選手権大会で大活躍・・・
フィリピン代表ナショナルチームを封じた経歴を持ち・・・
アセアン諸国内では希少な投手でした・・・

只・・・
2004年時の大会で・・・
限界を超しているにもかかわらず・・・
当時の現地人監督が彼を酷使したために肘がパンク・・・
以後、投手生命を失ってしまった悲劇の投手なのです・・・





試合の結果は・・・
やはり全員投下で・・・
10-0の見事な大敗・・・(大爆笑)





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試合終了後は・・・
へクター ナバセロ会長のご招待で・・・
フィリピン代表ナショナルチームのメンバー達と一緒に昼食会・・・






※あのイムットダンスでお馴染みのイムットが・・・
 1番、ショートで9イニング出場した記念に・・・
 スコアーボードの画像を用いて作成してみました””
 
 SYARIRULがイムットです  良かったなイムット 

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