2007年の東南アジア競技大会(アジアンSEAゲームス)・・・
2009年のアジア選手権大会(アジアチャンピオンシップ)・・・
自分がインドネシア代表ナショナルチームを率いて・・・
フィリピン代表ナショナルチームとの戦いは・・・
2度とも、1人の男に封じられたのです・・・
その男の名は・・・
{ダーウィン デラカルサダ}
また昨年の東南アジア競技大会(アジアンSEAゲームス)でも・・・
インドネシア代表ナショナルチームはこの{デラカルサダ]にやられています・・・
更には・・・
2007年の11月・・・
台中で開催された北京オリンピックアジア代表選考を兼ねた・・・
アジア選手権大会(アジアチャンピオンシップ))においては・・・
あの星野ジャパン・・・
宮本を中心とした日本のプロ軍団で固めた・・・
日本代表ナショナルチームが大いに手こずり・・・
格下相手であるフィリピン代表ナショナルチームを相手に・・・
わずか10点しか取れなかった・・・
その時の投手がこの{デラカルサダ}です・・・
第2戦の・・・
東ジャワ州代表チームは・・・
国体本番での手ごたえを伺うため・・・
全員投下の体制で試合に望みました・・・
先発はキャプテンのトゥエ・・・
ここで・・・
もう1人の選手を紹介してみます・・・
フィリピン代表の1番打者は・・・{ランス}
この男にも非常に痛い思い出があります・・・
2007年の東南アジア競技大会(アジアンSEAゲームス)・・・
フィリピン代表名ナショナルチームとの大死闘・・・
7回終了「0-0」の大勝負・・・
8回表のフィリピン代表名ナショナルチームの攻撃・・
2アウトランナー3塁で、打者は俊足の{ランス}・・・
彼の放った打球はやや三遊間よりのゴロ・・・
バウンドがやや跳ね上がり・・・
ショートがグラブに当てて前に落とし・・・
すぐさま拾って1塁へ送球・・・
1塁手の捕球と{ランス}の駆け込みがほぼ同時・・・
アウトとでも・・・セーフとでも取れる・・・タイミング・・・
しかし・・
運命の判定は・・・”セーフ”
この1点が決勝点となって・・・
「1-0」でフィリピン代表に惜敗したのでした・・・
その時の運命の打者が・・・この{ランス}なのです
そして・・・
フィリピン代表ナショナルチームは・・・
エースのデラカルサダが先発・・・
彼の先発は・・・
マニラ遠征に行く2週間前・・・
Facebookで連絡を取り合い・・・
先発については事前に約束をしてくれていました・・・
また・・・
我が東ジャワ州代表チームも・・・
2004年のインドネシア代表ナショナルチームの・・・
エースだったシンディーが登板・・・
当時の彼は・・・
135kmの速球と落差のあるカーブを持ち・・・
2004年のアジア選選手権大会で大活躍・・・
フィリピン代表ナショナルチームを封じた経歴を持ち・・・
アセアン諸国内では希少な投手でした・・・
只・・・
2004年時の大会で・・・
限界を超しているにもかかわらず・・・
当時の現地人監督が彼を酷使したために肘がパンク・・・
以後、投手生命を失ってしまった悲劇の投手なのです・・・
試合の結果は・・・
やはり全員投下で・・・
10-0の見事な大敗・・・(大爆笑)
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試合終了後は・・・
へクター ナバセロ会長のご招待で・・・
フィリピン代表ナショナルチームのメンバー達と一緒に昼食会・・・
※あのイムットダンスでお馴染みのイムットが・・・
1番、ショートで9イニング出場した記念に・・・
スコアーボードの画像を用いて作成してみました””
SYARIRULがイムットです 良かったなイムット
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