元インドネシア代表監督、スリランカ代表監督(野中寿人- 66番の部屋)

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銅メダル獲得と・・・リベンジへの誓い!

2007年12月24日 22時49分30秒 | インドネシア代表ナショナルチーム(国際大会など)
こうして・・・

2007年の自分とインドネシア代表ナショナルチームのアジアンSEAゲームスは幕を閉じた。

翌日のタイ代表とフィリピン代表の決勝戦は「5-4」でタイが勝利し、2005年のアジアンSEAゲームスと、2007年のアジア選手権兼北京オリンピックアジア最終予選での屈辱を晴らしてアジアンSEAシーゲームスで、タイ代表が初優勝を飾ったのだった。





今大会で台風の眼と台等した我がインドネシア代表ナショナルチームは、実力的にはこの2カ国と全くの互角との評価を得た。

インドネシア代表ナショナルチームの選手達・・・
胸を張って銅メダルを貰うんだ・・・
お前達は銅メダル以上の実力をアジア示したんだから・・・
そして次には必ず、金メダルを捕ろうじゃないか・・・

大会1ヶ月前の11月にはタイ代表の白倉キャサダー投手とフィリピン代表のエースのサウスポー投手対策で、日本の某大学所属の左右の投手招聘がキャンセルになり最後の仕上げが遂行できなかった要因。大会参戦前の連盟幹部とチームマネージャー間の問題でチームマネージャーが解雇寸前の状態であった要因など諸々の事情を考慮すると、優勝が可能だったといっても過言ではない。

このようなナンセンスな問題は非常に繊細となって選手達に襲い掛かるものだ。
選手達が可愛そうでならない。

代表監督就任中に、必ず金メダルを選手達に捕らせる
次回、2年後のアジアンSEAゲームスがラオス開催になり、野球競技は無い・・・

4年後のインドネシア開催まで待たねばならないのか・・・

であれば、来年に行なわれる「アジアカップ」に出陣させ、この屈辱を果たす
「アジアカップ」は、アセアン諸国全てが参戦してくる。この東南アジア限定のアジアンSEAゲームスよりもはるかに意味の思い大会なのだ。そして、アジアカップでの成績いかんによってはその上の大会である「アジア選手権大会」への出場権も望める・・・

よし

何が何でも、アジアカップに参戦してやる
このままでは終われない

終わってたまるか
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ガチンコ!フィリピン代表との激戦!

2007年12月17日 14時54分56秒 | インドネシア代表ナショナルチーム(国際大会など)
金メダル奪取の望みを掛け一世一代のフィリピン代表との大勝負を控えた前日・・・
問題が発生するのだった。
外出禁止の掟が破られたのだった。いきなりスポンサーからの招待というそれらしき理由から選手一同が外食になってしまったのである。

「大勝負を前に、選手達は外の華やかさを見てしまった””」
一抹の不安が頭の中に浮かぶ・・・

インドネシア代表としては2005年でのアジアンSEAシーゲームスでは、コールド負けに値するような大差でフィリピン代表に敗れていた。
しかし、今回の意気込みは違うのだ。
エースのエフェンディーを先発に起用。
フィリピン代表も先のアジア選手権権北京オリンピックアジア最終予選で、あの星野ジャパンを10点そこそこに押さえ込んだサウスポーエースのデラカルサダ投手を投入してきた。

アジアンSEAゲームス史上の名勝負となる壮絶なるガチンコ試合が開始されようとしていた。













1回・・・0
2回・・・0
3回・・・0
・・・・・7回終了まで両代表チーム得点を奪えず「0-0」の同点。

8回表のフィリピン代表の攻撃・・・
2アウトランナー3塁、ピッチャーはエフェンディーからアクバールに交代していた。フィリピン代表の1番打者の放った打球はショートややサード寄りのゴロ・・・ワンバウンド、ツーバウンド、スリーバンド””

しかし、スリーバンド目がややイレギュラーし30cmほど跳ね上がった。
ショートのトミーが打球を叩き落とし、ボールを拾って1塁へ送球・・・

「きわどい・・・・」

一瞬の時が止まった。
球場に居た全ての人の動きがピタッと止まった。

判定は???

「セーフ!!」

判定は無情にも「セーフ!!」
この間に、3塁ランナーが生還しついに均衡が破れたのだった

「1-0」フィリピン代表のリードで迎えた8回裏のインドネシア代表の攻撃を迎える。
あきらめない!俺達は絶対に勝つ!

先頭の打者が塁に出る。
「ノーアウトランナー1塁」という絶好の反撃のチャンスを迎える。
何が何でも2塁にランナーを進めるのだ。

初球の送りバントがフォールで失敗になる・・・
次にヒットエンドランに切り替えるがこれもファールで失敗・・・
そして運命の2ストライクからの送りバント
この1球に2007年のインドネシア代表ナショナルチームの集大成を掛けた。
全ての運命を委ねた。

「ファール!!」 

最後の最後で決められなかった。
この究極の場面で「1球の持ち球」の重みに泣く。
最後の1本の糸を結べずアートは未完成で終わったのだった。

「1-0」でインドネシア代表はフィリピン代表に敗北









無念・・・「1-0」での痛恨の惜敗。
試合直後の記念写真も参加する気力さえ無い。
一人、バックスクリーンの方へ歩いて行っていた。
こみ上げる熱いものを抑えることは出来なかった。
インドネシア代表の監督に就任して以来からの、吐くような練習、断食でのエピソード、数々の出来事が頭の中を相馬灯のごとく駆け巡った。

「ヒットで負けたのならまだしも」「完全なエラーで負けたのならならまだしも」
「イレギュラーバウンドでの敗北だなんて。。。」 
全くの互角だった。紙一重であった。
あと一息、あと1歩で、選手達に金メダルを取らせてあげられた・・・
あんな苦しい練習を課しても、ついて来てくれた選手達に申し訳が立たない””」

敗北について怒りようにも、この怒りはどこにも向けられない。
怒りを呑み込む以外にない””

「死ぬほど惚れた女がいたとしよう。この女は心底に惚れたたった一人の女であった。
そしてついに念願が叶って妻となった。しかし死ぬ程に惚れて、惚れて、惚れぬいたその女は実はレズビアンだった」

この時の心理状況を例えるとこうなる。どこにも怒りを向けられないのである。
 





皆・・・泣いた””
選手も、コーチ陣も・・・監督も泣いた””
監督として敗北の謝罪を選手達に通達した・・・
その瞬間、選手達が抱きついて来た・・・

{お前達・・・}

後はもう言葉が出なかった・・・
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いざ出陣!第24回アジアンSEAシーゲームスへ! 対タイ代表戦

2007年12月15日 14時27分04秒 | インドネシア代表ナショナルチーム(国際大会など)


インドネシア代表ナショナルチームにとってみれば2005年の第23回アジアンSEAゲームス(マニラ開催)参戦以来の国際大会になり、この2005年を最後に2006年以後のアジアカップなどの国際大会へは参戦していない。実に2年振りの国際大会の舞台なのである。



今大会(アジアンSEAゲームス)へ臨むに際して、監督からチームへの徹底事項は、
試合では「1球の持ち球」、試合が終わるまでグランドや宿舎のホテル内で相手チームの選手との会話を禁止、全ての試合が終わるまで一切の外出の禁止。
・・・以上の3点を徹底事項とさせた。



インドネシア代表にとっては2005年のアジアシーゲームで大差にて敗北をきっしたタイ代表との戦いは、今回の大会で銀メダル以上を獲得するための1つの大きな鍵となる試合。そのタイ代表の総監督は江本(エモやん)さん、ピッチングコーチには日大野球部の大先輩である渡辺さん(日大―阪神―デサントー元パキスタン代表監督)そして監督には元ダイエーホークスのヘッドコーチを務められた寺岡さんという超豪華キャストの首脳陣である。
エースピッチャーは亜細亜大学でリーグ防御率1位のタイトル持つプロ注目の白倉キャサーダー投手であった。先のアジア選手権兼北京オリンピックアジア最終予選でのタイ代表はエースピッチャーの白倉キャサーダー投手を温存した為にパキスタン代表に手痛い敗北を許し決勝大会への進出を逃し「星野ジャパン対江本タイランド」の実現には達しなかったが、フィリピン代表との戦いでは延長12回を戦い「0-0」で引き分けていた。







タイ代表の白倉キャサダー、インドネシア代表のエフェンディーによる両国エース同士の対決で試合は始まった大会第一試合は・・・
インドネシア代表は1回に1点を先制をしたが、3回にタイ代表に3点を献上。
8回まで「3-1」の緊迫したゲームを演じたが、インドネシア代表は9回に集中力が尽きた。自軍のエラーが重なり「6-1」で敗北を喫してしまった””



その後は、カンボジア代表、マレーシア代表、ミャンマー代表を無難に破り・・・









遂に、王者フィリピン代表戦を迎えるのだった。
この試合に勝てば、準優勝もしくは、同率1位(3カ国1位)にて審査査定に持ち込める。

タイ代表からの敗戦後、カンボジア代表、マレーシア代表、ミャンマー代表との各試合の中で「1球の持ち球」をことごとく試合の中に取り込み、全て成功させてチーム力の再生を図ってきた。

準備万全!いざ勝負!
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完成されたアートー2007インドネシア代表ナショナルチーム

2007年12月01日 23時38分54秒 | インドネシア代表ナショナルチーム(国際大会など)
台中よりインドネシアに帰国をし、我がインドネシア代表ナショナルチームは数日間の
強化練習を行い、タイのバンコクへの出発を迎えようとしている。

2007年インドネシア代表ナショナルチームの「アート」が完成されたのだった・・・











そして、インドネシア野球のリスタートを担い、そのアートを演じる2007年インドネシア代表ナショナルチームの選手達









































その選手達を補佐する首脳陣







 Its Show Time 
いよいよ本番のアジアンSEAゲームス(東南アジア競技大会)が開催される。





今年の4月からこのグランドで強化練習を行なってきた
・・・スナヤン球場

最後に、ホームに正座する自分が居た””
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