
FB(フェイスブック)には既に投稿を致しましたが、4月19日発刊のじゃかるた新聞さんに東ジャワ州代表チームのインドネシア国体決勝大会へ向けた強化練習第1期の記事が搭載されました。
じゃかるた新聞は、スハルト政権が崩壊して間もない1998年11月16日に創刊されました。報道と出版が自由化されインドネシア初の外国語(日本語)の新聞として認可された唯一の日本語メディアになります。
この様な貴重なメディアである、じゃかるた新聞への記事登載によって、より多くの方々にインドネシア野球の実態と、自分の活動内容を知ってもらうことが出来、多くの励ましと、勇気、活力を頂いております。
本当に有難う御座います。
今日は・・・
少々遡って・・・
自分の野球活動とじゃかるた新聞さんとの歴史について・・・
ブロブに記載してみようと思います・・・
また搭載記事の中から何点かを・・・
年代を追って添付UPしてみますので・・・
ご覧頂ければ幸いです・・・
尚、スキャナー取り込み不備の関係で少々歪んでおり申し訳御座いません””
最初の記事搭載は2006年・・・
当時の穴井記者によって搭載をして頂いた・・・
「国内クラブチーム大会 チータースカップ参戦記事」が・・・
記念すべき初搭載になります・・・
その後は第1回国際武道大学招聘記事と続き、第1回国際武道大学招聘時には、わざわざ穴井記者にはバリ島まで足を運んで頂き、連日グランドで取材をして頂いた思い出があります。
そして穴井記者には2007年初頭のインドネシア高校国体、バリ島初のグランド建築、日本大学準硬式野球部バリ島招聘・・・と世話になりました。
同年、穴井記者が日本へ帰国され担当が安田記者に引継ぎ継がれました。
安田記者担当の第1段は記念すべきインドネシア代表ナショナルチーム監督就任記事になります。やはり連日、ジャカルタのスナヤン球場と、宿泊先のセンチュリーホテルのレストランで取材を受けた思い出があります。
その後、安田記者にはインドネシア代表ナショナルチーム日本遠征、強化練習詳細、また、東南アジア競技大会(アジアンSEAゲームス)での連日の速報記事、国際武道大学招聘記事などなど・・・
2008年にも安田記者によって、インドネシア代表監督継続、東カリマンタン強化練習ハンドリング、母校からの功労賞受賞、そして国際武道大学招聘など・・・
2009年にはインドネシア野球史上初の快挙となるアジアカップ制覇に纏わる記事、スポーツ大臣表敬訪問、塩尻大使閣下によるスポンサーチーム発足関連、そして、アジアカップ優勝祝賀会、アジア選手権大会参戦、自分の特集記事等・・・
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2010年には安田記者が日本帰国の為、現在の関口記者にバトンタッチされ、塩尻大使閣下への記念品贈呈、世界リトルリーグアジア太平洋参戦インドネシア代表チームの監修記事、国内クラブチーム大会参戦、野球教室開催、国際武道大学招聘記事・・・
そして2011年は東ジャワ州監督就任、東ジャワ州代表チーム強化練習詳細、インドネシア国体予選大会、国際武道大学招聘及びスラバヤ遠征記事・・・
2012年はインドネシア国体決勝大会へ臨む東ジャワ州代表チーム強化練習の詳細や国体本戦の結果などを搭載して頂けると思います・・・
2006年から現在に至る搭載総数は58回ほどとなり、インドネシア野球の経緯全貌の全てが、じゃかるた新聞によって追うことが出来ると言っても過言ではありません。
じゃかるた新聞様には心より御礼を申し上げます。
有難う御座います。
そして、これからも宜しくお付き合いの程、宜しくお願い申し上げます。
最後に安田記者に特集を組んで頂いた記念すべき・・・
2009年アジアカップ初制覇時搭載の記事をUPさせて頂きます。
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