











































年末の•••
荷物整理を•••
していたら何と何と•••
日大三高野球部の•••
部員バッチが出てきました•••
通称•••
“NSBバッチ”
日大三高在学中は•••
ピィッカピカに磨いて•••
学ランの詰襟に付けてた•••
“俺らは”
“三高野球部だぞぉ〜”
みたいな感じで•••
肩で風を切りながら•••
思いっきり•••
意気がってたんです•••(大笑)
自分かの何代上から•••
このNSBバッチが存在したのか•••
はたまた•••
自分らの何代下まで•••
付けていたのかは不明で•••
凄〜く•••
気になるんですが•••
🤔🤔🤔🤔🤔🤔🤔🤔
日大三高と•••
二松学舎大付とで監督を務め•••
6月に亡くなった•••
青木久雄先輩(享年82)を•••
偲ぶ会が27日に•••
千代田区の二松学舎大学•••
中洲講堂で営まれました•••
青木先輩さんは•••
両校で通算約32年監督を務め•••
春夏合わせて4回甲子園に出場•••
1982年•••
春の選抜大会では•••
二松学舎大付を準優勝に導く•••
また•••
日大三高の監督を2回•••
務めたのは青木先輩さんだけです•••
大学卒業後•••
田口周監督の後に•••
(元ヤクルト球団社長)
日大三高の監督に就任されました•••
2015年には•••
高校野球の発展と•••
選手の育成貢献により•••
育成功労賞に選ばれました•••
青木先輩と•••
最後にお会いしたのは•••
2016年で•••
日大三高野球部合宿所でした•••
https://blog.goo.ne.jp/redsoxbali/e/c73fc5003f2c56a8c5d8288a779cac00
全国高校野球選手権•••
記念大会甲子園 1回戦•••
日大三高(西東京) 3 - 0 社 (兵庫)
母国•••
日大三高が•••
初戦を突破しました•••
三木監督•••
甲子園1勝そして•••
選手の皆さんおめでとう•••
対戦相手の•••
社も素晴らしいチームでしたね•••
2年生が目立ち•••
秋、春、来年夏へ期待度大です•••
チームカラーの•••
日大三高ではありますが•••
打撃は水もの•••
当てにはなりません•••
好球必打は分かりますが•••
それもケースbyケースです•••
OBとして•••
4回の無死1塁からの攻撃や•••
5回の攻撃が雑だったのが•••
目についた試合内容でした•••
2回戦に向けの•••
反省材料も多々ある内容でした•••
さぁ•••
次も頑張れ〜•••
応援してますよ〜•••
伝統校といえば•••
甲子園春夏通算•••
50回を誇る早稲田実業と•••
37回を誇る日大三高である•••
戦前の東京都は•••
慶応と早稲田実業が•••
甲子園出場を2分していたが•••
第3の顔として•••
日大三高が割って入った•••
その後•••
慶応が神奈川県へ移転した為•••
日大三高と•••
早稲田実業の2校が•••
東京都の伝統校となる•••
戦前からの•••
ライバル校である両校は•••
数々の名勝負を•••
繰り広げてきています•••
近年の両校の対戦で•••
強く印象に残っているのは•••
2006年
夏の西東京都大会決勝
早稲田実業 5-4 日大三高
(早稲田実業 斎藤佑樹投手)
2011年
夏の西東京都大会決勝
日大三高 2-1 早稲田実業
(日大三高 吉永健太郎投手)
2017年
春季大会決勝
早稲田実業 18-17 日大三高
(早稲田実業 清宮選手、野村選手)
(日大三高 桜井投手)
自分の中ではこの3試合•••
春季大会の決勝戦は•••
初のナイター開催と•••
となった注目の一戦で•••
試合は延長12回までもつれ込み•••
清宮選手や•••
野村選手を要する早実打線と•••
日大三高の投打の•••
中心であった桜井選手が•••
がっぷりと組み合った試合で•••
何と本塁打が7本も飛び出す•••
歴史的乱打戦は凄かったですね•••
日大三高と早実は夏の決勝戦では過去に4度対戦をし、34、35、06年に早実が勝ち、11年は日大三高が勝った。06年の早実は延長11回5-4で日大三高にサヨナラ勝ちをし斎藤佑樹投手(元日本ハム)は3時間48分の死闘で221球を力投。11年は高山俊(現阪神)横尾俊建(現東北楽天)らの日大三高が2-1で勝利
プレイバック
早実の連続甲子園出場が続いていた昭和30年夏、並木選手(元阪神)を有する日大三高は準決勝で早実に大逆転を演じ東京都大会を制し甲子園に出場し、翌昭和31年のセンバツにも出場した。しかし、その直後の春季大会で早実の王投手(1年)に敗退をし、その後は早実の甲子園4季連続出場へと続く
早実は1915年に開催された第1回の甲子園(全国中等学校優勝野球大会)にも出場を果たしている(当時はたった10校で争われた)
日大三高は本来1918年に創部されているが当時は私立赤坂中学校という校名。日本大学へと経営が移されたのが1929年であることから1正式な創部は1929年とされており1938年の春夏と甲子園初出場
名将•••
小倉全由前監督から•••
三高野球を託された三木有造監督•••
26年間•••
小倉監督の下で•••
小倉野球を育んできた男•••
監督就任前まで•••
東京都高野連の理事を務め•••
海外活動をも•••
担当していた経緯から•••
インドネシアにも数回来訪•••
当時、三木監督は•••
“小倉を守り抜くと”
自分にも公言をして•••
いたほど男気がある人間です•••
日大三高の監督ともなれば•••
“勝たなくてならないていう”
もの凄い重圧が•••
のしかかってきます•••
しかし•••
26年間も小倉前監督と•••
一緒にやってきたという事は•••
小倉野球🟰三木野球が•••
基本部分となっていると察します•••
そして•••
三木監督自身の•••
色を加えていきながら•••
新しい日大三高の•••
野球を構築すればいい•••
OBとして•••
また三木有造•••
という人間を知る者として•••
三木監督そして•••
三木野球を全面的に応援します•••
でも•••
以前から自分が掲げる•••
木製バットでの•••
全国制覇に挑むという•••
最超次世代高校野球は•••
現状の高校野球を見渡しても•••
まだまだ•••
実現はしそうにないですね•••
今後の楽しみ•••
としてとっておきます•••
でも•••
墓場までは•••
持って行かせ•••
ないでくださいね•••
小倉前監督と一緒に「監督はより厳しく、選手はより忍耐強く」という姿勢で野球に向かい合い勝つための絶対条件としての管理野球、個性を抑え付け、チーム全体の底上げを最前提に掲げた指導方法から選手個々の「感性」を重視した三高野球を再建してきた三木監督に期待してます❕
ちょっと•••
自分たちの時を回想して•••
西東京都大会の•••
決勝戦が7月30日•••
優勝をした後•••
バスに乗り込んで•••
赤坂へ直行•••
6丁目の本通りを•••
パレードをしてから•••
旧校舎近くの氷川神社へ•••
そうなんです•••
学校が赤坂から町田移転して•••
まだ4年目だったこともあって•••
日大三高といえば•••
やはり赤坂だった時代•••
町田の•••
日大三高合宿時へ帰寮し•••
熱闘甲子園の•••
電話インタビューが•••
あったりと多忙な1日でした•••
翌日から甲子園へ•••
出発するまでの全体練習は•••
午前中が我々•••
甲子園出場組みの練習で•••
その後に下級生が•••
練習という感じでした•••
町田市役所への•••
優勝報告の訪問やら•••
メーカーさんと•••
ユニフォーム合わせやら•••
甲子園出発までの•••
日々はあっという間に過ぎ•••
あたふたしながら•••
新幹線に乗り込んだものです•••
我々の時は•••
夏の甲子園出場は•••
実に17年振りであり•••
センバツ出場からも•••
5年間遠ざかっていました•••
ですから•••
小枝監督はじめ•••
小倉コーチや川俣コーチ•••
段取りがかなり•••
大変だったと思います•••
我々の代は•••
秋にゴールド負け•••
春もあわやのゴールド負けで•••
三高野球部創設•••
以来の弱小チームと言われ•••
関根潤三先輩や•••
根本陸夫先輩らが•••
夏の大会まで頻繁に•••
三高のグランドに来られてました•••
弱小チームは•••
運とツキだけで•••
甲子園出場まで駆け上がった•••
それが我々1979年の日大三高です•••
さぁ〜今日は•••
西東京都大会準決勝•••
日大三高と明大中野八王子戦•••
先程•••
試合が終わって•••
日大三高が明大中野八王子を•••
14-4で破り•••
決勝戦進出を決めました•••
日大三高は初回の•••
立ち上がりの守りで•••
1塁への悪送球(?)2つと•••
3安打を浴びて•••
4点を献上したが•••
2回からは•••
徐々に立ち直りをみせ•••
打線の方も4回には•••
2本塁打とランニング本塁打•••
を含む猛攻で7-4と勝ち越した•••
その後も•••
点差を広げて•••
6回コールドで大勝•••
この試合での•••
日大三高の反省点を挙げると•••
ランナーを•••
背負う回が多すぎた点•••
ピッチャーの制球も•••
やや高めのベルト線に•••
入る球が多かった点等である•••
決勝戦の相手は•••
この後に試合が行われる•••
早大学院と•••
日大鶴ヶ丘の勝者になります•••
強豪校•••
前評判が高かった高校が•••
相次いで姿を•••
消した西東京都大会•••
母国•••
日大三高•••
三木新監督に•••
是が非でも•••
決勝戦をものにし•••
甲子園出場を願ってます•••
自分らの代(1979年)は
春季大会で初戦で栗山英樹の創価高校に大敗し、夏の西東京都大会は1回戦ボーイのノーシードだった•••
3回戦で優勝候補筆頭の桜美林戦に
1-0で勝って、波に乗り、都立小金井高校との準決勝 を4-2で勝って決勝戦へ進出•••
しかし決勝戦の相手は前年度の秋季大会準決勝で11-2のコールド負けを喫し、春のセンバツ大会に出場した國學院久我山との対戦となった•••
昨日は•••
タイブレークで•••
強豪校の敗退が多いと•••
ブログに記したんですが•••
今日•••
先程行われた•••
西東京都大会準々決勝•••
日大三高vs駒大高校も•••
2-2で•••
タイブレークに突入•••
ハラハラドキドキ
超心配をしていましたが•••
3-2のサヨナラで勝利し•••
ベスト4進出を果たしました•••
準決勝は•••
創価高校と•••
明大中野八王子高校の•••
勝者との対戦となります•••
思い起こせば•••
高校3年の春季大会での初戦•••
府中球場で•••
創価高校と対戦をしたんですが•••
結果は•••
あわやゴールドゲームの•••
大差で創価高校に大敗でした•••
その時のエース投手で•••
3番だ打者が栗山英樹です•••
投げてはよし•••
打ってはよし•••
栗山は万能選手でした•••
また4番打者にも•••
凄い体格の選手がいて•••
ウチのエース投手が•••
レフトポールから2m•••
ぐらいハズレた特大の場外•••
ファールホームランを食らって•••
自ら小枝監督に•••
交代願いを出したという•••
苦〜い思い出があるんです•••
この•••
創価高校戦での大敗で•••
OBが激怒して•••
連日グランドへ•••
小枝監督の•••
辞表提出事件があったり•••
いきなり•••
真夜中の練習が始まったり•••
夏の•••
西東京都大会まで•••
悲壮感漂う大変な•••
時期を過ごす事になりました•••
東西•••
東京都大会や•••
他の地方大会で•••
強豪と位置付け•••
られているシード校が•••
相次いで敗退をしていますが•••
1978年のこと•••
シード校で出場をした•••
夏の•••
西東京都大会での•••
日大三高もそうでした•••
この年の日大三高は•••
優勝候補にもあがっており•••
5回勝てば•••
甲子園出場という•••
西東京都大会の組み合わせ•••
チーム力は•••
3枚の投手陣が万全で•••
打線もそこそこの•••
破壊力を備えていました•••
しかし•••
失策が絡んで2-1で敗退•••
写真は1978年の日大三高(上段右端が自分)
当時の日大三高は•••
夏の西東京都大会前の6月に•••
最後の“のし”と呼ばれる•••
個人ノックが行われており•••
身体の疲労が回復しないまま•••
予選を迎える状況だったのです•••
長い三高野球部の•••
歴史をみてみてもこと•••
夏の甲子園出場はわずか•••
過去5回しかなかったのです•••
また•••
練習試合を組む際•••
相手の高校を日大三高の•••
グランドに招くことが大半•••
遠征に行ったのは•••
3回程度しかありません•••
これは•••
練習試合終了後に•••
即練習を可能にする為です•••
内弁慶で場慣れがしていない•••
そして軟投派や•••
技巧派が不得意だった•••
大概にして相手投手に•••
ハマってしまうのはこの•••
手のたぐいがほとんどでしょう•••
•••疲労回復
•••大会の初戦
•••身体の動きも鈍い
•••シード校の重圧もある
•••軟投派技巧派への対応
•••相手高校の位置付け等
必ずしも•••
前評判が高いチームが•••
勝てるとは限りませんね•••
波乱とか•••
番狂せとかではなく•••
勝ったチームが強くて•••
負けたチームが弱いのです•••
小倉(元)日大三高監督が•••
高校野球神奈川県大会にて•••
評論家デビューをされました•••
8日に•••
サーティーフォー•••
保土ケ谷球場にて行われた•••
鎌倉学園vs横浜商大高
バックネット裏で•••
スコア表を記入しながら•••
試合を観戦&評論されました•••
小倉(元)日大三高監督•••
と言えば当然のことながら•••
東西東京が代名詞になりますが•••
他の地域である•••
神奈川県大会での評論は•••
非常に興味深いものですね•••
加えて•••
全国の地域も•••
お願いしたいです•••
関東一高•••
日大三で38年間•••
毎年都大会を戦い•••
甲子園通算37勝•••
全国制覇2度の名将の•••
小倉全由氏
独自の視点からの•••
評論を期待しております•••
でも!必ず•••!
インドネシアに•••
一度は•••
ご招聘を•••
させていただきます•••
いよいよ•••
夏の甲子園•••
西東京都大会が開幕•••
母国•••
日大三高も•••
三木新監督初陣の夏•••
夏の西東京都大会•••
開幕前の最終練習試合•••
定例となっている•••
帝京高校との試合は•••
7日に行われ•••
10-10の引き分け•••
本日8日には•••
西東京都大会の開幕式•••
日大三高は•••
昨年度の優勝に続き•••
2連覇を目指して欲しい•••
日大三高は•••
14日に初戦となり•••
おそらく•••
国士舘高校との試合でしょう•••
球場は•••
スリーボンド•••
スタジアム八王子になります•••
今春の東京大会•••
王者の帝京高校との•••
引き分け試合でチームは•••
上向きの状態になってますから•••
一気に波に乗って欲しいものです•••
三木新監督•••
応援してますよ〜•••
毎年•••
この時期になると•••
なんかか身体が•••
ウズウズしてきて•••
44年前の•••
夏の西東京都大会が•••
自然と頭に浮かんできます•••
あの夏も暑く•••
そして熱かった•••
今年の3月に•••
日大三高監督を•••
勇退された小倉元監督が•••
日刊スポーツの•••
評論家に就任されました•••
小倉元監督ならではの•••
情熱的な語りが期待出来ますね•••
ABC系列の中継でも•••
解説をしてくれると思いますので•••
楽しみです
自分も•••
インドネシアから視聴します•••
小倉元監督に•••
この間の天皇陛下との•••
御接見の報告をしたんですが•••
即効•••
小倉元監督から•••
メッセージを受けました•••
素晴らしい体験をしましたね。
天皇皇后陛下とはなかなか会うことなんてできないからね。野球の指導自信をもって続けてください(小倉)
日本一時帰国時に•••
なかなかタイミングが合わず•••
小倉元監督とは•••
お会いできてませんが•••
次回の•••
日本一時帰国の際には•••
必ずお会いしま〜〜〜す•••