らむ茶の独り言

ロックとノンアルコールビールと田舎暮らしを愛するガーディニング野郎の勝手な独り言。

15年後の別れの日

2016年11月18日 22時14分48秒 | 日記
 
ラム14歳
 ラム13歳 「ラム」。13歳。Mダックの「タク」の後を引き継いで長い間我家の番犬として目を光らせてくれた。こいつのおかげでウチにはカラスがほとんどやって来ない。こ......
 

1年前の記事で予想した通りに、ラムはそのあと3ヶ月後に千の風になってこの家から去っていった。
15歳の誕生日の二日前だった。朝からすごい大雪で、でも急にその雪が止んで青空が見え始めた。
ラムが我が家から旅立つ時だったのかな、と思った。 「もう行くからね。いつまでもメソメソしてちゃダメだよ。」と言ってるような気がした。
ラムはいつも笑顔だったからね。というか笑顔しか覚えていないんだけど。最後まで男前のナイスガイだったラム。

覚悟はしてるようなことを1年前のブログには書いてるけど、実際にラムがいなくなった後には激しく落ち込んだ。 
覚悟していたつもりでも猛烈に落ち込んだ。そりゃそうだよなあ。15年も一緒にいたんだから。
田舎暮らしはラムとの暮らしでもあった。都落ちして早幾星霜。その間ずっと一緒だったラム。 
ラムのいない生活なんて想像ができなかった。いなくなって初めてラムのいない生活ってこういうものなのか、と。

でも、そういう想いを毎日たくさんの人がしてるはず。生まれてくる子犬の数だけ別れもまた生まれるわけだからね。
ラムがいなくなって9ヶ月。新しくやってきたチビ助の姿がだんだんとラムに似てくる。性格はどうも全くの別物みたいだが。
走り回る姿に若い頃のラムの姿が重なるけれど、やがてチビ助にもこの家を去る日が必ずやってくる。
その頃にはオマエの遊び相手のトイ兄もギャギャ兄もナナ姉もいないんだよなあ。
出会いの数だけ別れがあるって意地悪な話だよなあ。オマエがこの家を去る頃にはオレやこの街はどうなってのだろうね。

ラムがこの家に来た頃、まさか15年後のこの街の姿がこういうことになってると想像した人がいただろうか。
でも、今から15年後を想像することはそんなに難しくはない。おそらくそれは街に住む多くの人が感じてることだろう。
いつの間にか明日は今日よりも寂れていく事を実感するようになった。
未来というのは明るいものだったはずだが。自分が老いたからというだけじゃなく、地方都市の将来には明るさを感じられない日本になってしまったのだなあ。 
未来の姿を想像するのが怖いぐらいだ。きっと誰もが思い描く想像通りの街になってることだろうねえ。もちろん悪い意味で。

 

コメント
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