振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

荒神谷遺跡、こんな場所でよく見つけたもんだ

2018-06-03 15:51:00 | 旅行
十数年前くらいか、どこかの博物館だと思うが荒神谷遺跡から見つかった銅剣の展示してある企画展を見た記憶がある。

その際に発掘された古代の銅剣と一緒に展示されていた再現された金ぴかの銅剣を見てハッと気が付いた。そうか、作られた時は光っていたんだ。だから祭礼の道具として使われても効果があったんだと。

それまで教科書や図鑑などで見たモノは銅剣にしろ銅鉾にしろ錆びた青黒いモノで当時は金ぴかだったとはとは想像したこともなかった。

358本の銅剣や16本の銅鉾、6個の銅鐸が山の中で見つかったのだが、実際にそれがどんな場所だったのか以前から興味があり出雲たたら巡りのついでに行ってみた。

先ず荒神谷博物館に入って展示物を見たが、発見された当時の発掘の様子を映像で見ることができ、大変な作業だったことがよくわかる。



博物館を出て古代の小径を歩いて再現保存されている遺跡の発掘現場に向かった。



途中には2000年ハスを植えた水田があるが開花は1ヶ月以上先だ。別名で大賀ハスと呼ばれるヤツだ。



山あいに入ると小さな溜池があるが、その手前を左手に曲がると遺跡の発見された場所がある。木が生い茂っていたと思われる山中の斜面だ。





斜面にある遺跡のすぐそばまで近づくことはできないが向かい側の斜面に作られた展望台から眺めることができる。





遺跡発見の経緯は付近に農道を通す計画があり、その事前調査の段階で水田のあぜ道から弥生時代の物と思われる土器片が見つかったのがきっかけだ。

金属探知機や地中レーダーなどが使われたのだろうが水田や住居があった可能性のある平地の調査だけでなく、山あいのしかもこんな斜面まで範囲を広げているとは想像してなかった。よくこんな場所まで調査したものだと感心する。

どうしてこんな場所にこれだけ大量のモノが埋もれていたのかが最大の謎で、諸説はあってもまだ解明されていない。北九州で作られた可能性が高いようだが定かではない。

このあたりはすぐ近くに宍道湖の湖岸があり斐伊川が作った沖積平野もあり、弥生時代からの遺跡や古墳も多くあり、古代から人々が集まり、有力者もいたことであろう。

この場所が保管場所だったのか、こっそりと置かれた隠し場所だったのかも知れないが忘れ去られて埋まってしまったのだろう。このあたりには朝鮮半島からの渡来人もいて、たたら製鉄の技術を持ち込んだ者がこの遺跡に関わっていてもおかしくはない。

そう思うと出雲はいろいろと想像力をかきたててくれる場所だった。




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