振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

京都山科にある古代たたら遺跡に行ってみた(1)

2018-10-23 11:51:19 | 日記
先日、天智天皇陵と琵琶湖疏水に行った際にグーグルマップを検索していると、陵墓の北側にたたら遺跡と表示してあったので行ってみた。

琵琶湖疏水に赤い橋がかかっていて、これを渡ると日蓮宗の大本山本圀寺への参道がある。







鎌倉で創建された寺が14世紀、日静聖人によって京都六条に移転して栄えたが、昭和46年にこの地に引っ越したらしい。なので全体に新しい印象がある。



参拝した後、一旦は疏水まで戻り、赤い橋から100メートルばかり東にある小さい橋を渡り直して小さな沢沿いに登って行くと石碑が現れた。



ここは本圀寺の敷地内と思われ、すぐ左手には墓や寺の建物がある。

たたら遺跡と言ってもそれらしき物はなにも無く、そばを流れる沢沿いには水を堰き止めていた土塁のような跡らしきものはあるだけだ。石碑がなければわからないが、本圀寺を建てる工事中に散らばった鉄滓などが偶然発掘されたようだ。



NETでいろいろと調べてみると日本書記の中に7世紀の天智天皇の時代の記述で「水碓」を造り、「治鉄」するとあるそうだ。碓は石臼のことで、水車によって原料の鉄鉱石を砕いていた可能性があるらしい。水車は7世紀初頭に高句麗の僧が日本に伝えたと、同じく日本書記にあるとのこと。

この辺りは北にある比叡山と対を成すホルンフェルスの南側の「角」にあたる如意が岳の山裾になるので、貫入したマグマの熱変性によりできた鉄鉱石がとれたのだろう。

であれば周囲には他にもたたら遺跡があるのではとNETを調べてみるとやはりあった。日を改めて行ってみることにする。


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