振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

山科の天智天皇陵と琵琶湖疏水

2018-10-20 12:47:18 | 日記
再放送だったがNHK番組の英雄たちの選択で、壬申の乱をやっていた。大海人皇子(天武天皇)がテーマだったが、その兄、つまり天智天皇が奈良飛鳥から遷都した先が大津宮であったことを改めて知り、NETで確認をしてみた。

大津宮の正確な所在地はわかっていないらしいが、天智天皇の陵墓が山科にあることがわかったので行ってみることにした。あんな場所に大きな古墳があったかなあ、と言うのが感想だったが、住所が山科区御陵になっていたので地名からしてそうだったのか、と納得した次第だ。

京都から三条通りの蹴上を越えて山科に下った所に最寄駅となる、地下鉄「御陵駅」があり、東に少し歩くと古墳への参道入口がある。



入口前の三条通りは若い頃から何度も車で通っているが、古墳があるなどとは気が付かなかった。地下鉄が出来るまでの三条通りは京阪電車京津線の路面区間で、電車が自動車と一緒に走っていた頃が懐かしい。今の地下鉄御陵駅は2層式の地下ホームで、ここで浜大津に行く京阪線と六地蔵に行く京都市営線が分岐していることも初めて知った。

入口の近くには日時計のモニュメントがあり、日本出初めて水時計を設置した天智天皇にちなんで戦前に建てられたようだ。



入口から陵墓の南端まで長い参道が300メートルくらい続いている。途中には住民の生活歩道が横切っていた。



更に200メートル弱進むと拝所になる。





調べると敷地面積は約11万平米とあるので、半年前に行った大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の1/4以下になるがそれでも広い。拝所の近くに宮内庁の小さな管理事務所があるが常駐者は居そうにない。定期的に巡回はあると思うが敷地の周囲は比較的簡単な塀で仕切られているだけで、広大な林が存在している。

京都市内や関西を中心に陵墓は沢山あるが、一部を除いては同じような管理状況のように見える。周辺には宅地開発が迫っていても荒廃することもなくしっかり維持されていることは興味深い。

敷地の東側に回ってみると先月の21号台風によると思われる倒木が多く見られた。大きな樹木が根元から倒されている。拝所の周辺の木々も、倒れてはいないものの多くの枝が折れ、ぶら下がった枝の先の方が枯れて茶色くなっていた。



住宅地の反対側に倒れているので民家への被害はなさそうだが、相当な本数の樹木なので始末するには時間も費用もかかりそうだ。


陵墓の東側は途中が階段になっているが昇って行くと琵琶湖疏水に出会う。陵墓の北面が疏水の流れに面している。







遊歩道が並行していて、散歩したりジョギングしている人もいる。

休憩していると、疏水をクルーズしているボートに出くわした。



NETで調べてみると琵琶湖の大津と京都蹴上までの間を運航しているようだ。あと1ヵ月もすれば周辺の紅葉も綺麗になり、その中をクルージングするのも悪くなさそうだ。