振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

東京世田谷の松陰神社

2018-03-18 16:52:39 | 旅行
山口県の萩市にある松陰神社と松下村塾には修学旅行を含めて数度訪れているが、東京にも松陰神社があることを知ったのは最近のこと。ある書物を読んで知ったのだが松陰を埋葬した墓もあると言うので一度行ってみることにした。

渋谷駅のバス停から三軒茶屋経由のバスに乗ったが松陰神社前と言うバス停まで20分くらいだった。グーグルマップで検索しながら東急電鉄世田谷線の松陰神社前駅の横を通り商店街を抜けると神社はあった。



幕末時には毛利藩の別邸があった場所で当時は一帯が田畑と雑木林だったと想像されるが現在は住宅の街だ。





安政の大獄に連座して斬首され伝馬町に埋められた松陰の遺体を数年後に高杉晋作や桂小五郎が掘り起こし、この場所まで運んで埋葬し直したことは知っていた。その場所が後に松陰神社として整備されていたのを知ったのが最近だ。





萩にある松下村塾の「模造」まで建ててある。





松陰の墓は神社の脇の方にある鳥居の奥にあった。松陰の墓に並んで同じく大獄で斬首された頼三樹三郎、小林良典、それに松陰の友人、来原良蔵の墓がある。鳥居は維新後に木戸孝允が建てたとか。

また、禁門の変で朝敵にされた長州藩の江戸にあった屋敷は幕府に接収され、拘束されて諸藩に預けられた長州藩士はその後の過酷な扱いで多くが亡くなったらしい。接収時に憤死した藩士を含めて彼らの供養碑も建っていた。

本殿の周囲には沢山の石灯籠が並んでいた。刻まれた文字が読みにくいが伊藤博文や山縣有朋など松下村塾の子弟たちの名前があるようだ。



神社を出て右手に曲がると若林公園がある。そこには松陰の墓よりも大きな墓石が建っていたが後に総理大臣を務めた桂太郎の墓だった。死んだら松陰の墓の近くに埋葬してくれと言っていたそうだが少し大きすぎないか?



桜のつぼみの先が割れ始め、ピンクの色が漏れている。来週には咲き始めそうだ。