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鬣とも呼べる毛を背中に背負った中学生、獅見朋成雄はオリンピック代表選手の強化合宿を蹴って、山奥に住む書作家の元に転がり込む。そこで墨を磨る日々を送る成雄はやがてひとつの事件に遭遇する。
舞城王太郎の作品。
出版社:講談社(講談社文庫)
舞城らしい特徴的な文章でつづられた物語である。
特に硯の擬音は実に冴えていて、読んでいてもそのリズムは心地よくすらある。また前半部に見られるような、疾走感が伝わってくるような文体も楽しくて、読み応えがあった。
そんなリズミカルな文体でつづられた物語も、それなりにおもしろいものがあった。特に前半部は安心して楽しむことができる。
後半になるにつれて、はっきり言って、だんだんよくわからなくなってくるし、物語的にうーん、何じゃこりゃ、といった印象も受けるのだが、何とはなしに良い、という感じは最後まで残ったのは好感触である。
本書に対して、あえてわかったような解釈をするなら、「人間」として定義しているものは何なのかに対する舞城なりの問いかけである、といったところだろうか。
実際、カニバリズムや殺人、人間的な原罪に関するグロテスクなイメージが後半になって立ち上がってくる。そういった野蛮なものを、文化的に見せていくことは、果たして人間的なことなのだろうか、というニュアンスがそこから伝わってくる。
しかしそこに答えがあるようには感じられない。多分答えなんて、舞城は出すつもりはないのだろう。
一応、何でもあるがまま受け入れているだけではいけない、という点だけは語られている。だけど、本作はあくまで問いかけでしかない、という気がする。そう感じたのが、本書を捕らえきれない一因かななんて思ったりした。
しかしそんな答えの出されていない状況の中で、鬣とか人間的なものとか越えた位置から出発しようとする主人公のイメージは、成長譚としては悪くない。
とらえどころのない部分の多い物語だが、このラストは個人的に好きである。
評価:★★★★(満点は★★★★★)
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『九十九十九』
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