円熟期の作品から厳選された短編集。交通事故の予後療養に赴いた折の実際の出来事を清澄な目で凝視した「城の崎にて」等18編。
出版社:新潮社(新潮文庫)
志賀直哉の短編をまとめて読むのは初めてだ。
通しで読んだ限りでは、全体的に静かなトーンの話が多いように感じた。
良くも悪くも淡白である。
しかしそれゆえに味があるようにも感じられる。
たとえば、『城の崎にて』。
電車にはねられるという、一歩間違えれば死にそうになった主人公。
だが、それを何のてらいもなく、一行で片づけているのだから、ある意味すごい。
しかし死に瀕したからこそ、見えてくる景色がある。
主人公がそこで見たのは、三つの死の形態だ。
一つは死の平安、一つは死に際してそれでもあがかざるを得ない生存の欲求の真理、一つは偶然により訪れる不意の死の風景である。
主人公は死についてをあるがまま甘受しようと考えている。
もちろん生きるためにあがく姿勢はあるらしいが、あくまで死に近しい感情は残っている。
そこにあるのは、死に対するある種の諦念だ。
その諦めが、作中ににじみ出ていて心に残る。
静かに描出されているだけに、こうも滋味深い作品となっているかもしれない、と感じる次第である。
個人的には、『流行感冒』が好み。
この小説の主人はやや潔癖すぎるきらいはある。
けれどそれを差し引いても、女中の石も気が利かないところはある。
そしてそれゆえに、女中は嘘をつき、主人は彼女に不信感を抱くことになるのだ。
しかし石だって、誤解さえとければ決して捨てたものではないのである。
みんなが流行感冒にかかっている中、献身的に働く姿はすばらしく、石を見直すのも当然だろう。
そんな主従の心の触れる瞬間が心に残る。
人と人との誤解や不和というものについて考えさせられる次第だ。
ほかにも良い作品は多い。
『佐々木の場合』
言うなれば恋に破れる物語だろうか。
佐々木と富のどちらが悪いわけでもない。ただ価値観がすれ違っただけだ。
それだけに人生の難しさを見る思いがする
『赤西蠣太』
赤西蠣太はまちがいなく善良な男だ。
表層的な面しか見ないものには、彼の不器量で不器用な点を笑うのだが、彼の善良さをちゃんと理解してくれる人はいる。
それだけに、彼の恋がこのような形で報われないのは、あまりに悲しい。
しかし武士としての責務に忠実な彼は、そのような選択肢しかなかったのだろう。
そしてそんな彼だからこそ、ほかの人も彼に好意を持ったのかもしれない。
世の中はまことに、ままならないものだと思う。
『小僧の神様』
Aの心に引っかかっているのは偽善なのだろう。それが幾分のやましさを与えている。
しかし仙吉にとっては、その行為は深く心に残る、ありがたい行為なのだ。その様が忘れがたかった。
『真鶴』
これは成長の話では、とぼんやり思った。
恋に恋する気持ちを感じたのだけど、その恋も叶わず、夢想も見事に果たされない。
そこには(大人の通過儀礼のような)諦観があるのではないか。
そしてその現実を知ったとき、子供じみた感情で手にした水兵帽も、他者への憐みとなって、現れたのではないかと感じる。
『雨蛙』
せきと賛次郎には結局埋めがたい認識や興味のギャップがあるのだろう。
それが貞操の軽薄さとも結びついているのかもしれない。
たいそう残酷な話だが、賛次郎のそれでもせきをいとおしむ気持ちに救われる思いがした。
評価:★★★(満点は★★★★★)
そのほかの志賀直哉作品感想
『暗夜行路』
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