昭和十年、東京・芝三光町あたり―。製薬会社勤めでつつましく暮らす水田仙吉一家を、軍需景気で羽振りのいい鋳物工場社長の門倉修三が迎えた。一対のこま犬のような二人の友情を軸に、ふた家族六人と、お妾さんに子供、山師仲間と謎の親戚らが織り成す人間模様。戦争間近の情景と、ユーモアあるセリフ、秘めたる性の表現を、十八歳の一人娘さと子の目線で描ききる。高視聴率を記録した、向田邦子最後の長編ドラマ。関連資料付。
出版社:岩波書店(岩波現代文庫)
『あ・うん』は向田邦子の代表作の一つとみなされているらしい。
だから期待して読んだのだけど、正直合わない作品だった。
それもこれも、本作の肝でもある仙吉と門倉の友情が、最後まで感覚的に受け入れることができなかったからだ。
こんな友情は存在するのか、という疑問がどうしても去らず、物語に入り込めない。
これはもう相性というほかないのだろう。
仙吉と門倉の友情はいびつである。
寝台戦友というきずなで結ばれた二人は、軍隊を離れてからも友情を育んでいる。
だが門倉は妻がありながら、仙吉の妻のたみのことを思っている。しかし門倉は最後までたみには手をつけない。そして仙吉も門倉の想いを知りながら、それを黙認している。
そんな三角関係で成り立っているのが、仙吉と門倉の友情だ。
別にそういった設定そのものは悪くないと思う。
どう見てもいびつではある。けれど、ふしぎな距離感自体はおもしろそうだ。
にもかかわらず、仙吉と門倉の友情を最終的に受け入れられなかったのは、大枠の部分ではなく細部にある。
たとえば1話目の「こま犬」。
門倉は数年ぶりに東京に戻ってくる仙吉一家のために、家の世話までして、風呂を沸かしたりするなど、かいがいしく働いている。
また仙吉とたみとの間に、子どもができるのだが、門倉は仙吉に対し、女の子ができたら養子にくれ、と言い、仙吉もそれに応じたりしている。
門倉は仙吉のためにかいがいしく動き、仙吉も門倉のために、彼の望むことをしてやろうと、一心に思っている。
そういうのを麗しい友情と見る向きもあるのだろう。こういう友情を育む人たちもいるのかもしれない、とも感じる。
しかし、その二人のやり取りがどうしても納得いかないのだ。
それは、そこに描かれた友情が、卑屈と表裏一体にすぎる、と見えてならないからだ。
男の友情とは、果たしてそういう性質のものだろうか。
ちがうんじゃないの、という気持ちが、感覚的な意見だが、最後まで抜けない。
個人的には、初太郎と、イタチと金歯の関係の方が、よほど男の友情らしく感じられた。
三人は文字通りの悪友で、金を騙し取ったりして、ひどいことをしている関係だけど、なんだかんだで腐れ縁的な仲のよさはあり、ちょっと互いに突き放した感じもあるけれど、それでいて一周忌には顔を出す程度の義理堅さもある。
こういうタイプの友情の方が、僕の乏しい経験から見ると、自然だ。
何か小姑のようにネチネチとネガティブなことばかり書いたが、物語の根幹とも言うべき、仙吉と門倉の関係に、納得いかない、ということは否定できそうにないらしい。
だがそれさえ除けば、本作がレベルの高い作品ということは確かなのだ。
まずエピソードが豊富で飽きさせない、という点が良い。
仙吉と門倉とたみの三角関係に、君子や禮子のように門倉の妻や愛人の問題、まり奴と仙吉と門倉の問題、などの、男と女の関係を描くことで、仙吉、たみ夫婦と門倉の、微妙で、不可思議で、壊れそうで、その実安定した距離感と関係性をあぶり出している点はさすがである。
そこに、仙吉と初太郎の親子の関係、一人娘の恋愛問題などもからませつつ、物語を盛り上げていくあたりも、かなり上手い。
この作品の根幹である、仙吉と門倉の関係を受け入れられなかったが、それが受け入れられたら、もう少し本作を楽しめたのだろうな、とすなおに感じられる。
僕にとって、この作品はいろんな意味で、本当に残念な作品であった。
評価:★★(満点は★★★★★)
そのほかの向田邦子作品感想
『阿修羅のごとく 向田邦子シナリオ集Ⅱ』
『思い出トランプ』
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