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こころは魔もの。暗い地下でとどろくマグマのような…。

きちんと生きる、ということ

2006年06月02日 | Weblog
きちんと生きる、とはどんな生き方なのか。それは何も堅苦しい話ではない。ごくふつうの人が人間として当たり前の考え方を貫き、自分らしく生きれば、きちんとした人として生きていけるはずだ。そしてそれはいつの時代にも、なによりも強く、確かな生き方だと思うのだ。

(「きちんと生きてる人がやっぱり強い!」/内海実・著)

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小泉総理殿、あなたはこの国の大改革を断行した結果、国じゅうに明るさと元気がもどってきたとおっしゃるが、もし本気でそう思っているとしたら、幹だけ見て枝葉には目を当てていない人だと言いたい。

「自由競争と改革がよくない」と言うのではない。終身雇用や年功序列制といった“社会の安全装置”が時代の歯車にかみ合わなくなったこともわからないではない。しかし、上流にいる二割の“勝ち組”が八割の所得を支配し、下流にいる八割の“負け組み”が二割のおこぼれで食べていかなければならないようなイビツな社会構造は、誰が考えてもおかしい。そんな今の日本が明るくなっただなんて、まともな人間であれば誰だって聞いて呆れる。

総中流意識の無競争社会に逆戻りし、全員が正規社員、黙っていても給料が上がっていく世の中になれと言うにはムリがある。それでは国際競争に追いついていけない。しかし、額に汗してコツコツ働く人間がバカを見ている世の中は間違っている。「カネで人の心は買える」とうそぶく人間がもてはやされ、社員が血のにじむような努力で築き上げた会社を“マネーゲーム”同然に売買する経営者が評価される。それをまた、時の政権与党のリーダーたちまでが、まるで時代の寵児のようにもてはやしたのだから情けない。

たしかに「それが資本主義だから」という理屈もあろう。ワケ知り顔で、そういう知識人に真っ向から反論する気もない。しかし、そこには「人が人間らしく生きていく」という視点が抜け落ちているような気がしてならないのだ。仕事も生活も、人なしには成り立たないし、人とのつき合いなしには語れない。そして、いかにいい仕事をし、いかにいい人生を送るかは、やはり“いいつき合い”なしには語れない。人と人とがきちんとした関係を築くには、礼儀というルールや、人を大切にする心、自分を省みる謙虚さや、人生に対する誠実さが必要だろう。この「きちんとした生き方」はまっとうな人生を送る上で、いちばん大切なことなのだ。

(前掲書、まえがきより)

イマイチの人は「~してあげる」の思いが言動に見え隠れするが、
きちんと生きている人は、「~させていただく」という気持ちで行動するので、好感を持たれる。

イマイチの人は負けるのを嫌い、苦境に陥ってめげるが、
きちんと生きている人は、負けを認められるのでめげないし、
転んでもただでは起きないガッツがある。

イマイチの人は頑張ると敵に「出る杭を打たれる」が、
きちんと生きている人は敵が現れない。
彼の頑張りはみんなのためだし、弱点をつこうにも見つからないからだ。

イマイチの人は人間関係が一番のストレスになるが、
きちんと生きている人は、人間には個性があることを知っているので、
人を変えようとか、自分が変わろうとかで思い悩むことはなく、
自然体で生きられる。

イマイチの人は、自分の力を「過信」しているので失敗のために挫折するが、
きちんと生きている人は、自分の力を「信じて」いるから、失敗も乗り越えられる。

イマイチの人は便利なメールでコミュニケーションをとるが、
きちんと生きている人は、対面して話すべき大切なことは、メールに頼らない。
etc...

(前掲書 本文より)


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