Luna's " Tomorrow is a beautiful day "

こころは魔もの。暗い地下でとどろくマグマのような…。

ちょっと気にかかったふたつの言葉

2007年08月22日 | Weblog
* 常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。


アルバート・アインシュタイン




* ウソも100年言い続ければ常識になる。
  常識が100年続けば伝統になる。


 ユダヤの格言

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常識だと言われると沈黙してしまう。伝統だといわれると人間性を踏みにじっても守ろうとする。どちらも人間を中心にしようとしないのが、わたしには気に入らない。守るべき美しい伝統はあるだろうし、常識も甚だしい逸脱から社会を保護する働きがある。でも革新を抑えるために持ち出されたくないですよね。

人間の世の中のこと、人間自身のこと。どちらも移りゆくもの。変化してゆくもの。遺伝子の変化によって、こうしてわたしたちは考え、感じることができるようになった、進化によって。

変化は自然の定め。だから変化をとどめようとするのはやっぱりまちがっている。変化をとどめようとしてはならない、わたしはそう思う。



「わたしは私自身を認めるべきだ」

2007年08月21日 | Weblog
“人に求めてもらおうと努力しなければ、認めてもらうことはできない” …、これが真実だと、絶対に言いきれるだろうか。

あなたは時々、あたかも神のように振る舞うことがある。まるであなたが何かを引き起こす必要があるというふうに。



だがわたしは、物事はわたしがいてもいなくても起こるものだということに気づいた。

人はわたしを認めたり認めなかったりする。それはわたしとは何の関係もない。これは本当によい情報だ。なぜなら、わたしは自分の幸せにだけ責任を取ればよいのだから。わたしの人生を、できるだけやさしく、知的に生きればそれでよいのだから。

わたしのことに気づいていない人がいて、感謝してくれてなくても、わたしは理解する。

わたしが関わるのはわただけであって、一つの生涯にはそれで十分だから。



(「探すのをやめたとき愛は見つかる」/ バイロン・ケイティ・著)

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「わたしはきちんと認めてもらいたいのです」

それはほんとうですか? それはあなたがほんとうに求めているものですか?

「ええ、認めてもらえばイライラしたりせずにすみます」

 でもそれはおそらく叶いにくい要望だと思いますよ。人は忙しすぎてあなたを認めることもできないし、忙しすぎてあなたに認めてもらおうとすることもできないんです…。
 ところで、あなたは人に認めてもらったら、どうするおつもりですか?

「それは…。…わかりません…」

人に認めてもらおうとし続けると、どんな気持ちがしますか?
…人に自分を認めさせようとすることが、あなたの当面のいちばん大事な仕事になるのではないですか?

「それは…そうですけど」

 そして、あなたは人に認めてもらおうとしているのに、人は認めてくれないというときに、あなたはどうしますか?
 人に認めてもらうために人生を犠牲にしてきたのに、だれも認めてくれないということになったとき、あなたは人に対してどんな態度をとるのでしょうか。

「…」。

 友好的な気分になるでしょうか、それとも敵意を強めるでしょうか。認めてくれない人に対して、あるいは自分を抑えて認められている人に対して、苦々しく感じ、刺々しく接することになりませんか?

「…」。



“人はわたしを認めるべきだ” この内心にある無言の信念をひっくり返して言ってみて下さいますか。

「?…。わたしは人を認めるべきだ…ですか?」

え? 
それでいいんですか。あなたはあなたご自身を認めてもらいたいのではないですか。

「…わたしが…わたしは自分を認めるべきだ…」

 ええ、そうです。
だって、あなたしか残っていないんですから!
人があなたに何か求めて、あなたがそれを与えた場合には、人はあなたを認めますが、そうではない場合にはあなたを認めません。これは単純なことです。
 「わたしは自分を認めるべきだ」という新しい信念をよくお考えになってください。さあ、あなたがご自分のことで認めていることを三つ数えてください。本当のことであればなんでもいいですよ。

「わかしました。ええと、わたしは人にお金を貸すときに、相手がすぐ返せないとか、まったく返せないということを理解してあげます。それで恨みを引きずることがありません。二つめは、わたしは待ち合わせの時間を守ります。もう一つは…、わたしはよい友人です」。

 Good !
そうなると、最初に言ったことは、あまり意味がなくなってきましたね。「わたしは自分を認めるべきだ」という新しい信念を裏返して表現できますか?

「わたしは人に認めてもらう必要がない」。

 わたしが人に認めてもらっているときは、わたしがそれを必要としているときだ、ということがいえます。人に認めてもらう必要があると、どうしてわかるのでしょうか。現に認めてもらっているからです。反対に、人に認めてもらう必要がないということがどうしてわかるのでしょう。認めてもらっていないからです。
 そしてどちらの場合も、わたし自身とは何の関係もないのです。その人たちが認めているのは、わたしについてのその人たちの受けとめ方、考え方、もしくはその人たちが持つわたしについてのイメージです。
 大切なことは、わたし自身はわたしを認めることができるような生きかたをしているだろうか、ということです。

 自分の考えを問い直すとき、わたしが一緒に生きているこの頭(脳)が、わたしは好きです。頭(脳)はわたしを放っておいてくれるだけではなくて、相手のことをも放っておいてくれます。それはとても安らかなことで、わたしはこのことが大好きなんです。

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“人に求めてもらおうと努力しなければ、認めてもらうことはできない” …、これが真実だと、絶対に言いきれるだろうか。あなたは時々、あたかも神のように振る舞うことがある。まるであなたが何かを引き起こす必要があるというふうに。だがわたしは、物事はわたしがいてもいなくても起こるものだということに気づいた。人はわたしを認めたり認めなかったりする。それはわたしとは何の関係もない。これは本当によい情報だ。なぜなら、わたしは自分の幸せにだけ責任を取ればよいのだから。わたしの人生を、できるだけやさしく、知的に生きればそれでよいのだから。わたしのことに気づいていない人がいて、感謝してくれてなくても、わたしは理解する。わたしが関わるのはわたしだけであって、一つの生涯にはそれで十分だから。



(上掲書より)

「今、この瞬間」に集中して生きる

2007年08月04日 | Weblog
あと2時間しか生きられず、
たったひとりにしか電話できないとしたら…

誰に電話をかけて、何を話しますか?
それに、なぜ、じっと待っているのですか?


スティーヴン・レヴァイン 作家

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これは、生きていることがどんなに貴重なことかを教えてくれることばで、筆者の視野を大きく広げてくれた。

あとどれくらい生きられるのか、誰にもわからない。
50年かもしれないし、50日かもしれない。
自分があと何年(あるいは何日)生きられるかわからないということを認めると、解放された気分になり、多くのことを多くの視点から見ることができるようになる。

そして、何がほんとうに大切かに気づく。

私は時々、このことばを思い起こし、人生をより意味深いものにしたいと再確認している。

そして何が大切かを心にとめ、それを尊重し、優先順位を考えて一日一日を過ごそうと心がける。




想像してみてほしい。
あなたの車がスリップして大型トレーラーと衝突、あなたは高速道路の中央に投げ出され、車はペシャンコになった。見物人がのぞき込んで「死んでいるぞ!」と叫んでいる。その瞬間、あなたは何を考えているだろう。
「ああ、死ぬ前にあれをやっておけばよかった」「あの人にこのことばを伝えたかった」という後悔の念が次から次へと押し寄せてくる。

実はこの自動車事故は、実際に私の身に起こったことだ。幸いにも命は助かったが、(車ごと)クルクルとスピンしている間に、人生観はまったく変わってしまった。それまでこの上なく重要だと思っていたものが、突然、意味を持たなくなったのだ。

人生の最後は決まっている。「死」だ。

死を思うと、残り少ない(豊富であっても)銀行口座の残高、恋人や家族への不満、友人にダイエットを勧められたといったことは、突然重要なものではなくなる。ビジネスでの失敗、上司に怒られたこと、高級車への思慕、欲しかった新しい家など、なおさらそうだ。ほとんどのことがどうってことないのだ。

だが、あってあたりまえだと思っていたもの、友人や恋人、子ども、妻や夫との会話、自由、身近な自然、目に見えるごくあたりまえのことなどが、突然、重要な意味を帯びてくる。生きていること自体が不思議な魔法のようなもので、かけがえのないことに思えてくる。

パートナーの嬉しそうな笑い声に心の底から満たされ、思わず顔がほころぶ。自然の美しさに心が広々とする。命という贈りものが何より尊いものに思える。歩くということさえ奇跡のように感じる。ペシャンコになった車を見て、よくぞ命を守ってくれたと、私は感謝の気持ちでいっぱいになった。



「心ないことばをかけられた」「仕事や人間関係で失敗した」といった、ささいなことに大騒ぎをする人がいる。

でも、「あと2時間しか生きられない」と思ったら、どうだろうか?
そんな小さなことはどうでもよくなるだろう。

この考え方を身につけることによって、あなたにとって「ほんとうにたいせつなこと」がどんどんクリアに見えてくる。そしてちいさなことにクヨクヨしなくなる。

どうか冒頭のことばを読み返し、じっくり味わい、何度も思い出して欲しい…。




(「小さなことにくよくよしない88の方法」/ リチャード・カールソン・著)