Luna's " Tomorrow is a beautiful day "

こころは魔もの。暗い地下でとどろくマグマのような…。

カルトにハマる「こころの仕組み」

2007年02月03日 | Weblog
すべての迷信は、占星術であれ、正夢であれ、予知体験であれ、天罰であれ、当たらないことの方がずっと多いにもかかわらず、
  当たらなかったときは見過ごし、
  当たったときには大騒ぎをする…
…というだけのことである。

フランシス・ベーコン (16~17世紀に生きた、イギリスの政治家・哲学者)

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生物進化というものは、効率的な形質が適応して生き残る側面を持ちます。遺伝子にとって、「効率」というものは重要なもののようです。効率を追い求めて、パターン化した行動様式に「本能」があります。しかし環境に変化が起きると、その本能が新しい変化に適応できずに、命を落としてしまうこともあります。「飛んで火にいる夏の虫」というのがその好例です。

人間も「効率」的にものごとを処理しようとします。人間は理知を獲得しましたから、効率的な問題解決能力は他の生物に比べても、非常に高い。それでも人間は完全無欠ではありません。ですから逆に「効率的」であろうとすることが、自らを誤導してしまう例があるからです。

例えば、判断する、という作業でも、人間は効率的に行おうとします。人間は物事を判断するときに、いつでも周到な調査を行うわけではありません。そんなことをすれば膨大な情報を処理しなければならず、エネルギーも多く消費することになります。そこで、最小限度にエネルギー消費を抑えて、効率的に判断を下そうとします。つまり、判断を下す際に、いちいち周到な調査・検討をはしょってしまうのです。過去の経験に照らし合わせて、自動的に判断を下そうとする心の働き、心理学でいう「ヒューリスティック」がそのひとつの例です。

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特定のカテゴリーに属する対象、頻度、事象の起こりやすさ、2つの事象の同時生起などを判断する場合、その対象や事象の思いつきやすさにもとづいて、判断は行われがちである。これを “思いつきやすさのヒューリスティック” と名づける。

実際に、その事象が起こりやすい場合には、その事象を思いつきやすくなり、正しい判断ができるようになる。「風が立ってきた、雨が降るだろう」など。しかし、思いつきやすさを高める要因は、実際の生起頻度だけではない。たとえば、「目立ちやすさ」なども思いつきやすさを高めてしまう。

航空機事故が起きて、多くの犠牲者が出たという事件が報道されると、その後も世界中の航空機事故が拾い出されてきて、報道される。あたかも航空機事故が頻繁に起きているような印象が形成される。「ああ、また飛行機が落ちている、航空機会社の管理体制はいったいどうなっているんだ」、という感想を漏らしたなら、そのときには、この「思いつきやすさのヒューリスティック」を使って判断を下しているのだ。しかし現実には、航空機事故で犠牲になる人間は、自動車事故で亡くなる人間よりも、圧倒的に数が少ない。

ここでこのヒューリスティックを用いると、「目立ちやすさ」のために、思いつきやすくなった事象の生起頻度が過大評価されてしまうことになる。

(「現代社会心理学」/ 末永俊郎・安藤清志・編)

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たとえば、かつて経験したことのないくらい、多くの国々を巻き込む大規模な戦争が起きたとすると、それは非常に「目立ちやすい」事件です。しかもそのような事件は人々の生活や安心感を奪ってしまいます。極度の精神的緊張から逃れるためには、なにか「答え」となる道筋、あるいは状況をわかりやすく説明するものがあることが望ましいでしょう。そこで、二、三十年間にわたり、この戦争が始まった年に、「世界の終わり」が起こると「予言」していた宗教団体に脚光が行きます。また、その宗教団体に所属している人々は、「自分たちの予言が当たった、指導者は正しかった」と結論づけるのです…。しかし、「ヒューリスティック」の説明文にはこの一行がつけ加えられています。

「ヒューリスティックと呼ばれるこの判断法を用いた場合、少ない努力でうまく解決策にいたることも多いが、無差別に適用すると誤りを生じることもある」。

先の宗教団体の成員の判断はどうでしょうか。「1914年に大規模な戦争が実際に起こった」ということから、「宗教の指導者は正しかった、その教団の聖書の秘儀についての解釈は正しかった」という思考の道筋には落とし穴はないでしょうか。

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さて、先ほどの、「兄嫁が、雲のようなものに乗って、泣きながら私に『死のうと思うがどうしよう』という意味のことを訴えかける夢を見たら、数日後に田舎の兄嫁が死んだことが知らされた」という「予知夢」についてはどう考えられるでしょうか。

これに似た報告の多くの事例を要約すると、「夢を見た」ら「不幸が起こった」ということです。ここから、一般法則である「不思議な超越的能力が存在する」を導くために検証すべきなのは、確証ではなく「反証例」、すなわち、「夢を見た」のに「不幸が起こらなかった」例がどれだけあるかという点です。

人は一回の睡眠で数回の夢を見ています。しかし、起きた直後には覚えていたとしても、ほとんどはすぐに忘れ去られ、長期的な記憶としては残りません。しかし、もしもその夢を覚えているうちに、実際に不幸な出来事が起こっていたとしたらどうでしょう。おそらくその夢は強い印象で記憶に残るはずです。それが単なる偶然だとはとても思えないでしょう。そして予知夢の典型的な例として人々に伝えられ、雑誌やTVなどのメディアで宣伝され(しかも、「結構です」と言ってるのに、伝道者の「時間の要求」という勝手な事情のために繰り返し訪ねて来るという、執拗な戸別訪問による布教活動で伝えられるなら)、非常に目立つようになるのです。(さすがにエホバの証人の場合は、教理よりもしつこさへの不快感だけが印象に残っているようですが…)

これに対して反証例、すなわち「予知夢を見た」のに「何も起こらなかった」事例に人が注意を向けることはありません。したがって雑誌で報道されることも、記録に残ることもなく忘れ去られてしまうのです。こういった例は、実は無数にあるのではないでしょうか。遠く離れた肉親や、友人の夢を見ることは比較的よくあることです。誰でも知人や肉親が夢に現れ、冷や汗をかいて目を覚まし、不吉な思いにとらわれたことがあると思います。しかし、それらの人に実際に危難がふりかかったことはほとんどないことに気づくでしょう。

宇宙物理学者の故カール・セーガンはこの点をまとめて、「当たったケースは後に残るが、はずれは残らない。このようにして人間は知らず知らずのうちに『共謀』しあって、こうした現象の頻度について偏った記録を取っているのである」と解説しています。


(「不思議現象-なぜ信じるのか」/ 菊池聡ほか編著)

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不吉な夢を見た後に不幸が起きる、予告されていたある年に大きな出来事が起きる、どちらも目立ったことが重なって、「だから」超物理学現象は実在し、「そこで」超越者への帰依が説かれ、「したがって」超越者を代理する人間の指導に服従させようというところまで飛躍していくのです。エホバの証人の場合、当たった「予言」というものはひとつもないのです。1914年の「予言」にしても、それは1914年にキリストによる裁きが起こり、キリストの追随者だけが突然に「天に召され」て、地上からは姿を消すだろうというような予言でした。ですから、実際には1914年の予言も外れたのです。

ところが、「予告されていた年」にかつてない規模の戦争が起きたということだけ強調して語られ、ほかの聖書の記述についてのものみの塔聖書冊子協会の解釈は正しくて、「真理」だという結論に至ります。それをまた前提にして、そういえば、友達と一緒に行くはずだった旅行に、都合が悪くなり行けなかった、でもその旅行に行った人たちは旅行先で事故に遭った、あれは自分が守られたということかも…などという事例が、新たな「確証」として持ち出されます。それがまた神秘主義を正当化する修飾道具に使われてゆくのです…。

エホバの証人の信仰って…「正確な知識」どころか誤った思考、欺かれた思考にもとづいているものなんですよね…。もう二度とあんな間違いを犯さないようにしたいですよね。別に、いかがわしい宗教信条だけでなく、日常場面でも、案外思い込みは多いと思います。時間があるときに、もう一度当たってみるのもいいかもしれませんね。「思いつきやすさのヒューリスティック」に過剰に頼っていると、判断を誤まりがちだそうですから…。