Luna's " Tomorrow is a beautiful day "

こころは魔もの。暗い地下でとどろくマグマのような…。

数歩退いて、やがて盛りかえす姿勢

2010年09月01日 | Weblog





わたしの教え子のうちの4名が奈良にハンセン病回復者の家を建てた。学生がわたし自身より優れていると感じることはしばしばだ。この学生たちは40年余り、わたしをひっぱった。


柴地則之は、古神道の教団から土地を借りて、家を建てるワーク・キャンプの工事を起こした。


近所から反対が出て、工事の現場を囲まれた。すると(彼は)、「皆さんの同意を得なければ、この宿舎の建設はしません」と言って、途中まで積んであったブロックを、みんなの目の前でくずした。

あきらめたわけではなく、夏休みごとに男女数人でつれだって、反対派の家々に、ハンセン病は新薬プロミンで完治するようになったので、この人びとから伝染することはない、という西占貢(にしうらみつぐ;京大医学部教授)の証明を見せて、説得を続けた。

(やがて)もはや反対がなくなったと見えて、彼らは一挙に家を建てた。


このように、数歩退いて、やがて盛りかえす姿勢がこの学生たちにはあった。




那須正尚は、ハンセン病療養所にいる全盲の藤本としの聞き書きをつくった。この記録(『地面の底が抜けたんです』思想の科学社、1974年)は30年を経て、当時の学生だった木村聖哉が、落語研究家、麻生芳伸の助力を得て、記録をもとにした結純子のひとり芝居にした。今もさまざまな土地でこの上演を続けている。


ハンセン病が治るようになってからも、患者が故郷に受け入れられない年月が続く今、この興行は、日本の現代と取り組む前衛の運動である。






(「思い出袋」/ 鶴見俊介・著)