Luna's " Tomorrow is a beautiful day "

こころは魔もの。暗い地下でとどろくマグマのような…。

いま現在を生きるということ

2011年04月24日 | Weblog

 
 

 

 


たとえ君が三千年生きるとしても、いや三万年生きるとしても、記憶すべきは、なんぴとも現在生きている人生の時間以外のなにものをも失うことはないということ、またなんぴともいま失おうとしている人生の時間以外のなにものをも生きることはない、ということである。

したがって、もっとも長い一生も、もっとも短い一生も同じことになる。なぜなら現在は万人にとって同じものであり、したがって我々の失うものも同じである。ゆえに失われる「時」は瞬時にすぎぬように見える。

なんぴとも過去や未来を失うことはできない。自分の持っていないものを、どうして失うことがありえようか。

であるから、次の二つのことをおぼえていなくてはならない。

第一に、万物は永遠の昔からおなじ形をなし、同じ周期を反復している、したがって、これを百年見ていようと、二百年見ていようと、無限にわたってみていようと、何の違いもないということ。

第二に、もっとも長命の者も、もっとも早死にする者も、失うものは同じであるということ。なぜなら、人が失いうるものは現在だけなのである。というのは人が持っているのはこれ(=現在)のみであり、なんぴとも自分の持っていないものを失うことはできないのである。(第2巻14節)

 

 


「自省録」/ マルクス・アウレーリウス


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泣いても叫んでも、流されてしまった過去の暮らしは、もう二度ともとにはもどらない。それは流され、破壊されたのだ。もう個人の、家族の「所有」ではなくなってしまったのだ。失われたものは、つまり所有できなくなったものだ。


わたしも阪神大震災をすみっこで経験したが、その経験から言えることがひとつある。


失われたものはもとには戻らない。それは失われたのだ。わたしたちにできることは、「もとどおり」にすることではない、それは不可能なのだ、とくに家族の成員すら失われたのであれば。


わたしたちにできることは、新しく創ってゆくことだけだ。新しい生活を創ってゆくことだけなのだ。創る、というのは「はじめる」とも読むことができる。クリエイトする、というのは「新しく作りはじめる」ということだ。もちろん、そのためには政府に要求するべきことは政府に要求してゆかなければならない。被災者の痛みに鈍感な官僚と交渉するということは、それ自体、心の傷をえぐられる思いを経験することだろう。だがそれは行ってゆかなければならない。


被災者たち、勇気を出せるものはいるか。その者は、泣くだけ泣いたら、悲しむだけ悲しんだら、立ち上がれ。以前と同じ村の同志で暮らすことはもう不可能だと理解せよ。それは流されたのだ。もとと同じものを取り戻すことはできない。あなたたちにできることは、新しく創ってゆくことだけなのだ。新しい生活を創ってゆくことだけしかわれわれ人間にはできないのだ。そして場合によっては、それは思いやりを育まなかった人間たちとの闘いを意味することもある。それでも、生きよう、とわたしは言います。どんなに屈辱にまみれても、どんなに仲間はずれの仕打ちを受けても。生きよう、ただ、生きること、それが人間として生まれてきたわたしたちの仕事なのだ。

 

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人は子どもの身を守ることばかりを考えているが、それでは十分ではない。大人になったとき、自分の身を守ることを、運命の打撃に耐え、富も貧困も意に介せず、必要とあればアイスランドの氷の中でも、マルタ島のやけつく岩の上でも生活することを学ばせなければならない。


あなたがたは子どもが死ぬことがないようにと用心するが、それはムダだ。そんなことをしても子どもはいずれ死ぬことになる。そして、たとえその死があなたがたの用心の結果ではないにしても、そういう用心をするのはまずいやりかただ。


死を防ぐことよりも、生きさせることが必要なのだ。生きること、それは呼吸することではない。活動することだ。わたしたちの器官、感覚、能力を、わたしたちに存在感を与える身体のあらゆる部分を用いることだ。もっとも長生きした人とは、もっとも多くの歳月を生きた人ではなく、もっともよく人生を体験した人だ。

百歳で葬られる人が、生まれてすぐ死んだのと(実質は)同じ、というようなこともある。そんな人は、若いうちに墓場に行ったとしても人生の内容は同じなのだ。

 

 


「エミール」/ ジャン=ジャック・ルソー・著


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死なないようにすること、困難に遭わないようにすること、失敗しないようにすること、が目的なら、家にこもって何もしなければいいし、宗教組織にこもって、定式化された生活様式を、点線をたどって美しい字を書くときのように、機械的に繰り返していればいい。


だがそれを「生きている」ということができるか。ルソーの言うとおり、「生きること、それは呼吸することではない、活動することだ」。失敗を重ね、自分の望むことを達成することなのだ。


わたしたち日本人は、高い地位の、見かけの安定に就くよう育てられてきた。だが「生きる」ように育てられたと言えないだろう、ルソーの前提に立てば。災害がもたらした逆境、困難では、高い地位を象徴する椅子は海の水に流された。いまを生き抜く人は、「~であるよう」育てられた人間ではない、そういう人間は別の「~である」ありようでは生きていけない。ルソーの文章によれば、貴族であるよう育てられた人間は、革命によってその身分が奪われたとき、別の身分では生きていくことができないだろう、ということだ。


わたしたちはどうか。雇用が不安定で、削減されつつあるこの逆境では生きてゆくことができないだろう、エホバの証人のようなカルト宗教のなかの、高い地位に座って、「下」の信者どもの無料労働に依存して生きてきたおまえたちは。


被災した方がたも、実は同じなのだ。いまこそ「アイスランドの氷の中でも、マルタ島の灼熱の岩の上でも」生きてゆくことが求められている。そういう訓練を受けてこなかったわたしたちは、いま、それを学ばなければならない。何をすればいいのだろう、それを学ぶということは。まず、序列意識を棄てることだ。「あなたとわたし、どっちが上?」という協議をしないことだ、つまり「あなたは何歳?」とまず最初に訊ねたりはしないことだ。


こういう逆境では、身近にいるちがう町村の気心の知れない人たちと連帯する必要がでてくる。同志として人間を捉えることからはじめよう。でなければ連帯はできないのだ。連帯ができなければ、これから新しく人生と生活を創ってゆくことはできないのだ、つまり生きるということができなくなるのだ。

 

 

 


以下は、毎日新聞一面のコラム「余録」からの転載。


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阪神大震災で被災者のケアにあたった精神科医は、地震の40~50日後に人々の間のある変化に気づく。ふだんより元気になった人と、ひきこもってしまう人の違いが目につく。その差がまるで開いたはさみの刃のように広がっていくのだ。


① 柔軟に新発想を出す人と考えられないほど頑固になる人、
② 酒を飲まなくなった人とアルコールにのめり込む人、
③ 仲がよくなった夫婦とヒビの入った夫婦
 --最初のわずかな差が日を追ってどんどん開いていく。医師はそれを経済用語を借りて「鋏状較差(きょうじょうかくさ)」と呼んだ。


貧富の差もはさみ状の広がりを見せる。経済力や社会的人脈、地縁をもつ人々と孤立した人々の境遇の違いが拡大した。人々の生死を分けた震災は、その後も人々の幸不幸を切り分けた(中井久夫編著「昨日のごとく」)。


当時よりも長引く避難所生活のストレスだ。そして大津波から40日以上を経た今も行方の知れぬ子や親、兄弟を捜し続ける人々がいる。悲しみが癒えるどころか、積もり重なるこの震災である。復興に向かう周囲のムードと、取り残されるような孤立感に苦しむ人々の落差の広がりも未曽有の様相を見せている。


長い「被災」を生きる人を孤立させないさまざまな取り組みが必要な今後の復興だ。国が仮設住宅に配置する高齢者や障害者の介護の拠点もその一つだろう。自治体の判断で生活相談やボランティアの拠点にも使えるこうしたスペースをより有効に活用できればいい。


震災との闘いで一つになった人々の心も、復興へそれぞれの挑戦を始めていく今だ。「較差」のはさみが人同士のいたわり合いまで断ち切るのは防ぎたい。

 

 

毎日新聞 2011年4月22日 東京朝刊

 



新聞記事のスクラップ: ボランティアでは被災者にどう接すればいい?

2011年04月14日 | Weblog





■Ques. ボランティアでは被災者にどう接すればいい?
  Ans.  個々の思いに耳を傾けて

 

 1995年1月の阪神大震災被災者や2005年4月のJR福知山線脱線事故、交通犯罪の遺族らの心のケアを続けるカウンセラー、吉備素子さん(68)に聞きました。

 




 被災地に入って最初のうちは、どんな物資が要るかなど生活面で何ができるか尋ねるといいでしょう。



 「つらいでしょう」という言葉を先にかけてしまうと、被災者の気持ちを逆なでしてしまったり、「被災者らしくしなければいけない。笑ってもいけない」と誤解させてしまう恐れがあります。そうすると被災者を傷つけてしまいます。思い込みを押し付けないように気をつけましょう。




 気持ちを打ち明けられるまでそばで待っていてください。

 その時に、相手が落ち込んでいるようなら一緒に落ち込み
 怒っていれば一緒に怒ってください。
そうすると、被災者に「あなたは一人でない」と伝わります。




 避難所では、家族ごとの生活空間を段ボール箱などで区切るなどすれば、少しでもプライバシーが守れます。そうすると気持ちの負担も軽減されます。



 ボランティアにも厳しい現場だと思います。自分がしんどいと余計なことを言ってしまいがちです。気持ちや体力にゆとりがない時は、しっかり休んでください。【林田七恵】

 

 


毎日新聞 2011年4月14日 東京朝刊

 


悲しむ人を思いやるスキル

2011年04月07日 | Weblog

 

 


わたしがこれまで見てきた限り、日本人は個人の気持ちというのを大切にしません。制度・体制・因習・習慣・しきたり、あるいは建て前…と呼ばれてきたものを優先して立てようとします。それは、ルース・ベネディクトが「菊と刀」で指摘したとおり、「あるべき所」が重要な日本人の特性が関係してきたのでしょう。


わたしたちの伝統では、個人の資質や能力を発揮することはむしろ嫌われます。品がないとか傲慢だとか、厚かましいとか。これは、年齢序列や家父長支配制度によって権威づけられている「立場」「地位」は、個人の能力によって選ばれるのではなかったからなのでしょう。「菊と刀」の感想文はまた近いうちに「Life is Beautiful 」のほうで書いてみたいと思います。


日本人は、「体制」や「体裁」を大事にして、年齢や性別で自動的に「長」に任じられた、実際にはなんにも実践的な訓練のできていない人びとの、問題対処能力の欠如という無能力を隠すために、個人の気持ちというのを、「甘えるな、みんなは耐え忍んでいる」に類するせりふで一蹴します。


だから子どもたちは親を信頼できず、自分の本当の気持ちを否定されてきたために、自己評価が成長せず、自分がつまらない者であると自覚する一方、他者も自分と同様大切じゃない、という感覚を抱くようになってしまいます。自己評価の低い人間は自分の命の値段が安く値切られてきたと感じています。だから怒りとねたみのために、自分と同様の無名な他者の、命や尊厳にも価値を値引きするのです。有名な人なら逆にこびへつらいます。


こんなイヤな人間性は改善したいですよね。だったら、思いやりをどのように示したらいいか、そのスキルを学ぶようにしてください。こちらから先に敬意と思いやりを与えてゆけば、きっと心ある人に当たり、その人から敬意と思いやりを受け取ることができるようになるでしょう。そのとき、わたしたちは、自分が認められた、という妙なる喜びを獲得し、その積み重ねが高い自己評価を形成してゆくのです。高い自己評価とはつまり、内心の自信が形成されるということです。


では、悲しんでいる人にどう接したらいいか、この記事を参考にしてください。まちがっても、「前向きに生きろ」だの、「自分は前向きに生きるようにしているのに」だのと説教して、相手を否定してはならないのです。むしろ、悲しむべきときには悲しみ、へこたれ、うなだれるべきなのです。悲しみの感情を表現し、それに承認が与えられる=共感を受けるときに、徐々に徐々に気持ちが癒されてゆくのです。



心が癒される、とは、愛する人を失ったことと、愛する人との生活はもう二度と返らないという現実を受け入れることができるようになるということ、その冷厳な現実を受け入れることに、自分で納得すること、です。そしてそうなるには、「前向きになれ」、「ポジティブになれ」と説教するのは何の役にも立たないばかりか、逆効果でさえあるということです。それはむしろ、思いやりのある他者から、悲しみ、苦しみに共感されることによってのみ、達成される、ということですね。これが人間の精神のしくみなのです。

 


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■東日本大震災 Q&A 家族を失った人にどう接したらいいですか?
 

 

Ques. 家族を失った人にどう接したらいいですか?

Ans.  言葉は不要、そっと寄り添って
 

 


 日航機墜落事故(85年)の遺族でカウンセラーの吉備素子さん(68)と、阪神大震災(95年)の被災者で、避難所で心のケアにあたった高木慶子(よしこ)・上智大グリーフケア研究所長(74)に聞きました。

 

 気持ちを尋ねるより、
 「寒いけど眠れていますか?」
 「ご飯は食べられましたか?」
…など生活上の困り事について尋ねる方が、遺族には答えやすいです。

 

 避難所で食料を一緒に受け取り、
 暖かい場所へ誘導するのも助けになります。心痛を体の冷えや痛みとして感じることもあるからです。

 

 手をつないだり肩に触れたりしてぬくもりを伝えるのも大事です。

 

 

 「家族が被災した場所に行きたい」と頼まれた場合、悲しみが募るのではと心配になるかもしれません。しかし、近くまで同伴するなど安全な範囲で対応することが、不安や悲しみを和らげることにつながります。

 

 大事なのは、遺族一人で行かせないこと。家族を失った悲しみが身に染みるのはこれから。その時一緒にいてあげるのが大切です。

 

 

 家族が行方不明の子どもへの説明も難しいです。
 子どもは大人の不安や恐怖に敏感。助かった可能性が低い時は、それを隠すよりも「天国に行ったんだよ」と伝えたほうがいいと思います。この時も、抱きしめてあげて、一人でないと伝えることが大事です。【林田七恵】
 
 
 

 

 


毎日新聞 2011年3月30日 東京朝刊