Luna's " Tomorrow is a beautiful day "

こころは魔もの。暗い地下でとどろくマグマのような…。

教育勅語にはいいことも書かれているのか

2023年12月13日 | Weblog

 

 

 

教育勅語の「親に孝」は評価する人が多いが、それ、違うからね。忠孝一体と言って、天皇(=国家)に忠節を示すことと親に孝行することは同じ、親に孝行するつもりで天皇に服し、天皇に忠を示すつもりで親に従えというのが教育勅語の意図。親が決めたら娘は見たこともない男のことろに嫁がねばならず、米の不作で娘は売春界に身を沈めなければならない。教育勅語の「親に孝」は男権父権を頂点にして人間を統制する仕組み。1947年版の教育基本法はそんな仕組みへの否定から制定が浮上した。はじめは「勅語を残す」から「新詔勅渙発」、それも新憲法の国民主権の原理にそぐわないとポシャッて、ようやく重い腰を上げて、天皇が決めるのではなく国民が議論して国会で法律として決める方式に。教育基本法制定が決まる。教育基本法の根本原理は、子どもの教育を受ける権利という新概念。國體護持、教育勅語にしがみつく当時の政治家や官僚にはまるで宇宙語であるかのように理解を超える理念だった。子どもが国家・親に対して彼らの望むようにふるまう義務があるのではなく、親・国家が子どもの幸福になる権利を保障する義務があるとする理念。わかりやすく言えば、子どもが親や父親、家、国家の体面を失わないように気を遣わねばならないのではなく、親が、子どもが幸福になるよう気を遣わねばならない。子どもというのは自分の意志で親や国家を選んで生まれてくるんじゃない、親のスケベな事情で生まれて来るんだから後者の考え方が当然に理にかなっている。したがって、教育勅語の「徳目」はどれ一つ取っても民主主義の原理にそぐわない。全部ボツ。

 

 

三四郎@kumi70jp

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿