■キレる中高年が増えている
ずいぶん前から、キレる中高年が増えていると言われるようになりました。最近もツイッターで話題になった事件として、こんなニュースがありました。
男は、4月23日朝に札幌市中央区内の歩道で、長女(7)と長男(5)と手をつないで歩いていた20代女性に対し、後ろから「邪魔だ。どけ」と怒鳴った。しかし、女性が「何ですか。その言い方は」と言い返すと、男は突然、女性の前に回り込んだ。
女性は、当時妊娠7か月で、男にそのことを伝えたが、男は、構わずに女性の腹を右足で1回蹴った疑いが持たれている。女性にケガはなく、今のところ胎児に影響はないという。男は、そのまま逃走していたが、防犯カメラの映像から割り出された。(Yahoo!ニュース、6月24日)
この容疑者は、51歳の男性でした。また、こんなツイートも多くの反響を集めました。
みつばち
@mitsu_bachi_bee
7月8日
「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」の声に驚いて振り向くと、惣菜コーナーで高齢の男性と、幼児連れの女性。男性はサッサと立ち去ったけど、女性は惣菜パックを手にして俯いたまま。
私は咄嗟に娘を連れて、女性の目の前でポテトサラダ買った。2パックも買った。大丈夫ですよと念じながら。
ほかにも、マスクが品薄だったときにドラッグストアで店員に怒鳴ったり、レジ袋有料化の際にそれを知らずにコンビニで文句を言ったりというケースもたくさんあったようです。これらは最初の事件と違って、身体的な暴力に及んではいませんが、言葉による暴力とも言えるものです。
もちろん、粗暴な言動を取る若者や女性もいることは確かですが、それでもやはり中高年男性が目立ちます。男性のほうが、より威圧的で暴力的であるケースが多く、飲酒のうえでの暴力や暴言も多発しています。
事実、犯罪統計を見ても、中高年男性による事件は増加を続けています。たとえば、1998年(平成元年)には、刑法犯に占める65歳以上は2.1%でしたが、2018年(平成30年)は21.7%まで上昇しています。
犯罪とまではいかないケースでも、日常生活のなかで見知らぬ他人から予期せぬ理不尽な「暴力」を受けたとき、本人だけでなくそれを見聞きした周囲の人まで嫌な気分がなかなか晴れないものです。
これらに共通する特徴は、普通ならスルーされるような些細なことがきっかけであること、見知らぬ第三者に向けられたものであること、本人には悪気があるというよりは「自分が正しい」と思い込んでいる様子であることなどです。
■脳機能の変化
それでは、なぜこのような中高年による日常の「暴力」は起きるのでしょうか?第1に考えられるのが老化に伴う脳機能の変化です。それは、怒りなどの感情や不適切な言動を統制する機能の衰えです。
われわれの感情は、大脳辺縁系の扁桃体という部位に関連しています。そこで生じた感情をコントロールするのは、大脳皮質の前頭前野という部位です。この部位は、成熟するのが一番遅いのですが、衰えるのは一番早いと言われています、だいたい40代から徐々に衰えが目立ち始めます。1)
前頭前野の機能は、よく筋肉にたとえられますが、若い時分はこの感情をコントロールする「筋肉」がぐっと踏ん張ってくれるのですが、中高年になるとその踏ん張りが利かなくなるのです。
これが一番顕著になるのは、認知症の場合です。情動失禁などと呼ばれるように、些細な刺激で泣いたり、怒ったり、感情の統制が失われた状態になることがあります。
■自尊感情の低下
第2の原因は、自尊感情です。多くの場合、キレやすい男性は「プライドが高い」と見られがちです。実際、「馬鹿にしやがって」などと言ってキレることが多いからです。最初の例でも、若い女性から反論されたことで、プライドを傷つけられたということが考えられます。
しかし、実際はその逆なのです。自尊心が高い人は、他人から多少反論されたり、意に反することがあったりしても、その自尊心が傷つくようなことはありません。そして、自分だけでなく他人も同じように大切にします。人を貶めたり傷つけたりすることは、自分の価値観にそぐわないからです。
逆にもともと自尊心が低い人は、些細なことでただでさえ低い自尊心が傷つきます。特に男性の場合、女性や若者を自分より下に見る傾向が強いうえ、体力的に若者に適わなくなったり、仕事をリタイアして社会的地位を失った場合など、自尊心が大きく損なわれることがあります。そして、自尊心がさらに傷つけられたと感じる出来事があると、その相手を貶めることで、相対的に自分を高い地位に置こうとするわけです。
最近の大規模な研究でも、自尊心の低さと攻撃性に有意な関連があることが見出されています。2)
第3の原因は、老化とともに価値観や信念が柔軟性を欠いてしまうということです。人間の可塑性は加齢とともに失われていきます。新たな経験や環境の変化に応じて、自分の考えや行動が変わりにくくなるということです。
これはまず、自分はすでに多くの社会経験を積んでいると思い込んで、謙虚さを失った人に多いと言えます。また、脳の機能とも関連します。脳の衰えによって、そもそも周囲のことにあまり関心がなくなり、その変化に気づかないのです。
■見過ごされやすい原因
第4は、これまであまり指摘されてこなかったことですが、加齢とともに感情認識力が低下することがわかってきました。3)
たとえば、高齢者は特定の感情、特に怒りや悲しさに鈍感になることが研究によって見出されています。自分がこうした感情を抱いていても、それに気づきにくいのです。すると、知らぬ間に小さな怒りが自分のなかに蓄積し、ちょっとしたことでそれが爆発するという状況になってしまいます。怒りを爆発させやすい人は、普段から慢性的に不機嫌であり、それを自覚できていないのです。
さらに、他人の怒りや悲しさなどの表情や感情にも鈍感になると言われています。他人を不快な気持ちにさせても、その表情を読み取ることができず、相手の感情にも鈍感になっているのです。一方、恐怖や喜びに対する感受性は、さほど大きく損なわれることがありません。
やはりこれも脳機能の衰えと大きな関連があります。怒りや悲しさのようなネガティブな感情は、主に右脳で処理されるのですが、右脳の方が左脳より老化が早いのです。
■どうすればいいのか
このようにキレやすい中高年を心理学的に分析すると、残念なことに、それは「正常な」脳の老化過程であることがわかります。
したがって、現時点ですぐにできる対処は限られていますが、中年に差し掛かったころから、感情をコントロールするスキルを意識的に学習することが、1つの効果的な予防策となるでしょう。
たとえば、アンガーマネジメントという心理学的訓練があります。その書籍もたくさん出ています。簡単なスキルとしては、次のようなものがあります。
① 自分の怒りのサインや怒りやすい状況に敏感になる
② そしてその兆候が出たらすぐに深呼吸し、その場をしばらく離れる
③ 怒りやすい状況に接するときは、いつも以上に言動に留意する
④ 日常的に体を動かす、瞑想をする
年を取るのは誰も同じです。しかし、一昔前に比べると、外見が若々しくいつまでも元気な人が増えてきました。外見を若く保つのと同じように、脳も若く保つことは、本人だけでなく周囲の人をも幸福にするための秘訣であると言えるでしょう。
■被害を受けた場合は
そして、何よりも大切なことは、キレる人々の被害に遭った場合、被害者側はどのような対処をすればよいのかということです。まずは、可能であればこちらのほうも「その場を離れる」ことが大切です。助けを求めることのできる状況であれば、ためらわずに周囲の助けを求めましょう。
相手が客でこちらが店員であるなど、立場が弱い人が被害に遭うことも多いので、店としてこのような客に対する対処方針を決めておいたほうがよいでしょう。日本式にひたすら頭を下げるだけではなく、毅然とした対応をすることも選択肢に入れて、責任者を含め店全体でどう対処すべきか事前に明確にしておくべきです。その際は、クレーム処理の専門家の意見などを参考にして方針を立てておくことが、店員を守るだけでなく、ほかの客をも守ることになるでしょう。
一旦は事態が収まったとしても、心の傷は残ります。その場合、大きなダメージがある場合は、信頼できる人に相談したり、場合によっては心の専門家の援助を借りることが大切です。また、自分でできるケアとして、以下のような方法を試してみてはどうでしょうか。
⑤ 認知の転換をする:こんなことでいつまでも落ち込むのはダメだと考えるのではなく、傷ついた自分を受け入れ、落ち込んで当たり前だと考える。
⑥ 責任の帰属を変える:自分が悪かったかもしれないなど自責的になるのではなく、「変なアイツ」が悪いのだと責任をきちんと相手に帰属させる。
⑦ 自分で自分のケアをする:
嫌な目に遭った自分を慈しみケアするために、好きなものを食べる、楽しいことをする,ゆっくり入浴するなどの行動を取る。
⑧ 落ち込みや怒りを外在化する:心の中の嫌な感情に形があるとして想像し「名前」をつけて,それをなくしてしまう。たとえば、ゆっくりと入浴しながら、落ち込んだ気持ちに「落ち込みさん」などという名前をつけ、イメージで丸いボールの形をした「落ち込みさん」を息とともに口から吐き出す。そして、それをお風呂の湯に溶かすイメージで入浴する。怒りに「変なオヤジの脳味噌」を名前を付けて、しぼんだ脳を想像し、そのイメージの中で塩をかけてますますしぼませてトイレに流すなど。
このような日常に潜む暴力や暴言は、いつだれが被害に遭うかわかりません。自分には何の落ち度がなくても、もらい事故のようにして被害は起こります。
日常的な身体のケガをしたときは、誰でも多少の応急処置の知識を持っています。救急箱には傷薬や絆創膏などを用意しているでしょう。しかし、心の傷に対する「救急箱」を持っている人は意外と少ないものです。
理不尽な目に遭わないに越したことはありませんが、万一このような目に遭った場合は、それ以上傷を深めることがないように、上に挙げたような「心の救急箱」を用意しておくことが必要な時代になったのかもしれません。
そして、ポテトサラダを食べるときは、手間ひまかけて作ってくれた人や、自分のことを思って買ってくれた人に感謝しながら食べる。そういう心のゆとりも忘れないようにしたいものです。
1) Zanto et al., Handb Clin Neurol, 2019
2) Teng et al., Agg Vio Behav, 2015
3) Sullivan et al., Inern J Nerurosci, 2004
原田隆之 筑波大学教授
筑波大学教授,東京大学客員教授。博士(保健学)。
専門は, 臨床心理学,犯罪心理学,精神保健学。
法務省,国連薬物・犯罪事務所(UNODC)勤務を経て,現職。エビデンスに基づく依存症の臨床と理解,犯罪や社会問題の分析と治療がテーマです。
疑似科学や根拠のない言説を排して,犯罪,依存症,社会問題などさまざまな社会的「事件」に対する科学的な理解を目指します。
主な著書に「痴漢外来:性犯罪と闘う科学」「サイコパスの真実」「入門 犯罪心理学」(いずれもちくま新書),「心理職のためのエビデンス・ベイスト・プラクティス入門」(金剛出版)。
7/12(日) 10:00
こちらより転載。
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