土煙をあげて車が走っていきます。
こちらは建設中の新東名(第二東名)の大井川橋付近(牛尾山の切通し)。
※↑は下の写真の拡大版
停車することが出来ないので、車載カメラはタイマー撮影ですが、走行スピードが制限されておりましたので、大井川橋まで行く途中で自動的にシャッターが下りてしまいました。
11日の地震でのり面が崩落し通行止めになった東名高速。その影響で一般道路が大渋滞し、16日の日中地元車両に限る形でこの橋を開放することになりました。
普段から「越すに越されぬ大井川」なのですが、今回は大井川橋周辺だけでなく、国道1号線と交差する道路まで車両があふれ、普段の4倍も時間がかかる始末です。天災ですから仕方の無いことですが、市内であっても車で動くのが難儀な状態でした。
通行証をもらっての通行でしたが、渋滞も無く進むことが出来て本当に助かりました。
こちらは島田側から見た新東名大井川橋。下流部では一番川幅の短い部分、いわゆる駿府城主中村一氏が掘削し、掛川城主山内一豊が築堤した大井川の「天正の瀬替え」の真上を通ります。
本物の新東名の開通は2012年度ということでした。
こちらは建設中の新東名(第二東名)の大井川橋付近(牛尾山の切通し)。
※↑は下の写真の拡大版
停車することが出来ないので、車載カメラはタイマー撮影ですが、走行スピードが制限されておりましたので、大井川橋まで行く途中で自動的にシャッターが下りてしまいました。
11日の地震でのり面が崩落し通行止めになった東名高速。その影響で一般道路が大渋滞し、16日の日中地元車両に限る形でこの橋を開放することになりました。
普段から「越すに越されぬ大井川」なのですが、今回は大井川橋周辺だけでなく、国道1号線と交差する道路まで車両があふれ、普段の4倍も時間がかかる始末です。天災ですから仕方の無いことですが、市内であっても車で動くのが難儀な状態でした。
通行証をもらっての通行でしたが、渋滞も無く進むことが出来て本当に助かりました。
こちらは島田側から見た新東名大井川橋。下流部では一番川幅の短い部分、いわゆる駿府城主中村一氏が掘削し、掛川城主山内一豊が築堤した大井川の「天正の瀬替え」の真上を通ります。
本物の新東名の開通は2012年度ということでした。
>天正の瀬替え
ここが切り通しだった事を初めて知りました。改めて地形を見ると、横岡方面へ直進して大代川に沿っていた名残が見て取れます。
大代川そのものも、五和で90度近く向きを変えて谷筋からはるか下流で大井川に合流しているのは五和から先が大井川の旧流路だったからなんですね。
以前台風で由比の山が崩れたときは新幹線を除くほとんどの交通手段が断たれましたし。
(清水-芝川ルート、薩捶峠超えくらいだったかな?)
第2東名は海岸を通らないので津波や高波の影響を受けない迂回路として建設されているのですがそれに反対する人がいたりします。
目の前のお金ばかり見ていていろんな予測が出来ないのでしょうね、きっと。
は、当時の技術水準ではたいへんな治水事業だったと思います。影武者様が仰るとおり、それにより流路が変わり、志太平野全体に流れていた大井川が今の流路のようになって、莫大な土地が生まれました。先人のこのような発想にはただ驚くばかりです。
実験は「新東名リーディングプロジェクト」の一環。
今年の秋 に(=NEXCO中日本(御中)。)
第2東名の一部区間(≒約17km区間、使用)にて、
「120キロ走行実証実験」 ありますね。
場所「金谷トンネル~掛川第1トンネル」&
「森PA~浜北IC」。
NEXCO中日本(中日本高速道)は、
将来の法定速度百二十キロ設定を見据え、
世界最先端の渋滞対策や交通事故防止システムの
実証実験に 全国に先駆けて乗り出す。
ニュースソース=2009年4月23日(木)
夕刊 1面 静岡新聞