JR北鎌倉駅から徒歩5分程度のところに存在する東慶寺。
鎌倉幕府第8代執権北条時宗の妻・覚山尼が開創したこのお寺は,群馬県太田市の満徳寺とともに「縁切寺」「駆け込み寺」として有名なお寺です。
室町初期においては後醍醐天皇の皇女・用堂尼が住待となり,「松ヶ岡御所」として寺格を上げることになります
余談ですが,大河ドラマ「北条時宗」では覚山尼を十朱幸代さん(出家前は西田ひかるさん)が演じていましたっけ
さて,中世,寺には治外法権的な特権が存在し,政治権力ですらうかつに立入,介入することが許されてはいませんでした。
そして,寺内におけるもめ事は,寺独自の「寺法」によって解決が図られてきました。
特に尼寺は,男子禁制という性質上,女性の立場からの離婚申し出の場として大きな役割を果たすことになりました。
しかし,江戸期になると幕府の寺院法度による統制なども影響し,寺法の絶対的効力も薄れていく中,この東慶寺については,徳川家康が豊臣秀頼の遺児(後の天秀尼)をこの寺において出家させた折,天秀尼が,開山からの寺法が断絶することのないよう配慮されたい旨を家康に願ったことから,東慶寺の縁切り寺法は明治期に至るまで強力な効力を持ち続けることになりました。
その一例として,東慶寺の男子不入の禁を破った会津城主加藤明成には,お家没収という厳しい処分が下され,その後東慶寺の寺法に反しようとする者はなくなったということです
家康が東慶寺の特権維持を認めた裏の理由として,男女間の紛争はただでさえ厄介であり,それらの紛争は幕府奉行所の手だけでなく,幕府の公認した寺院に委託することで,裁判業務の負担を軽減させるという政策的意図もあったのかもしれませんね。
一辺倒な幕府役人の詮議によるよりも,心理学カウンセラー的な尼さんに話を聞いてもらえる方が,意外に円満解決の糸口が見つかったりするかもしれません。
現在司法制度改革において検討されている,裁判所以外の機関で紛争解決を図る「ADR」を彷彿させます。
むかしは尼寺だった東慶寺も,今現在は男僧が住職となっています。
単なる駆け込みの場所というだけでなく,適度な敷地に美しい庭園が広がります。
春には枝垂れ桜が咲き誇るということなので,今度訪れるときには桜の時期を狙いたいと思います
次回は,東慶寺における縁切りの手引き(!?)についてお話しします
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