今週は,スーパーチューズデーや毒入りギョウザといった話題で持ちきりの1週間でしたが,それら以外にも「これは変だよ」と思わされるニュースが密かに見え隠れしました。
その中で,建国記念日を間近に控えた本日,次のニュースを取り上げてみます。
「都立高校の卒業式などで職務命令に反して「君が代」の斉唱時に起立しなかったことを理由に、都が退職後に嘱託職員として採用しなかったのは違憲だとして、元教諭ら13人が都に慰謝料などを求めた訴訟の判決が7日、東京地裁であった。中西茂裁判長は、都による不採用の判断は「職務命令違反をあまりに過大視しており、裁量を逸脱している」として、13人に計2700万円を支払うよう命じた。」(
asahi.comより抜粋)
結局この判決では,君が代斉唱時に起立を命じた職務命令が,憲法が保障する「思想及び良心の自由」に反せず合憲という判断を前提とした上,だけれども君が代を歌わなかったくらいで再雇用させないというような制裁は行き過ぎだろうという考え方から原告側の勝訴ということになったようです。
都教委では,式典の際の国家及び国旗の扱いを通達によって定めているようですね。
この手の裁判で,違憲判断が下されるのはほとんどないと思われますが,憲法上の
思想良心の自由は,他の基本的人権と比べ,公権力からはもちろんのこと,
公共の福祉にも干渉されないといった極めて強力な保障がされている権利です。
都教委の通達がどんなものかは分かりませんが,「国旗掲揚,国歌斉唱時には起立,斉唱すること」といった通達,命令により,暗に心理的強制をもたらすような扱いがなされているのであれば,そのような通達や職務命令は違憲なのではないかという気もします。
しかし,自分は国旗や国歌を見たくもない,歌いたくもないという思想が,式典会場で「起立しなかった」「歌わなかった」という「表現」をしてしまうと,これは
表現の自由の問題(こちらは
公共の福祉との調整の場面が生じ得る)に触れてしまい,厳粛な式典において周囲との調和を乱すこのような行為は,ある意味公共の福祉に反すると言えなくはありません。
ただ,その場合でも,原告らが起立せずに国歌を歌わなかったことが他人の権利を害しているかをいえば決してそのようなことはなく,今回の判決にもあるとおり,原告らが式典を積極的に妨害をしているわけでもないので,これをもって今後の原告らの雇用待遇を変えるというのはやはり行き過ぎでしょう(いわゆる「特別権力関係」といった,特殊な状況下における人権制限も,学校行事という場面ではなかなか考えにくいでしょうし…。)。
都教委側は,この判決を受けて,今後の国旗国歌の扱いを見直すようですが,どうなるのでしょうか?
式典が行われるたびにこのような問題が生じてくるのであれば,いっそのこと国旗掲揚と国歌斉唱は止めてしまっても良いと思います。
それらがなくても校旗や校歌があるのだからそれでいいじゃないですか。
ただでさえ長くなってウンザリする式典行事において,余計なプロセスがカットできて,少なくとも学生たちは喜ぶと思います(笑)。
さて,仮に私が今回の原告のような立場に立たされた場合,私がどうするか考えてみました。
私の人生経験上,学生時代の卒業式などにおいて,式典の正面には日の丸が掲揚され,同時に君が代が流れて斉唱するのが一般的だった記憶がありますが,何ら違和感はありませんでした。
そのそも日の丸と君が代の裏事情というものを知らずに成長してきたので当然といえば当然です。
日の丸,君が代を嫌う方々は,おそらく「日の丸は帝国主義時代のシンボルである。」「君が代は天皇崇拝の歌である。」といった考え方の持ち主なのでしょう。
ワタシ的には,産まれたときから日本=日の丸だったので今さら別な旗になってもらっても違和感があるばかりですし,君が代もあえて「君」=「天皇」と解する必要もなく,「君」=「あなたがた」と解して歌えばこれほどいい歌はないのではと思っているので,今回のようなシチュエーションに自分が立たされても校長や都教委からいじめられることはないですね,きっと…

長くなりましたが,結論としては「
どっちでもいいじゃん,みんなが丸く収まれば…」ということでした♪(全然解決になってないって…!


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