FC piaZZista

”セールスマン”が結成したフットサルチーム「FC piaZZista」の軌跡とキャプテンの私生活。

岩手県八幡平温泉郷「クボタロッジ」

2010年07月11日 00時35分47秒 | ルアーフィッシング
本日のディナーは、岩手県八幡平温泉郷「クボタロッジ」です。

疲れた体を癒すためには、美味しい料理と温泉。
東野から高速で1時間と遠かったが、明朝は、川を新規開拓をするために八幡平までドライブしてしまった。
このペンションは、オーナーがフライマンでイブニングまでじっくりと川辺に立つフライマンの行動を十分理解し、食事の始まりは何時ででもOKと相当融通の利く宿である。

因みに温泉は、硫黄臭の熱々で最高である。
水質は、チュルチュルではなくザラザラ。
でも、「温泉」って感じでグッドである。
汗を流し、20時30分から遅いディナー。
まずは、前菜。
「ホタテ貝のオーブン焼き 香草風味」

中々である。
スープは、「ゴボウのポタージュ」です。

もう少しゴボウの量を増やし、風味を増して欲しい。
でも、美味しいよ。
そして、サラダ。

シャキシャキと旨い。
魚の皿は、「サーモンのトマトソース バジル風味」

鮭は、結構、肉厚である。
バジルの風味も豊かで美味。
但し、鮭は、もしかしたらチリ産?
そして、メインは、3,000円で追加注文した「前沢牛のサーロインステーキ 赤ワインソース」

焼かれる前にオーナー夫人が「こちらが、前沢牛です」
とお披露目してくれたが、凄い霜降りだった。
確かに上質の脂の香りと柔らかい歯応え。
最高である。
でも、できればこんな上質のお肉は、塩胡椒とレモンだけで食べたい。
赤ワインソースは、ちょいしつこかった。
というか、オヤジになり脂が少々受け付けない体になってきた。
このような霜降りは、何切れか少々食べるから旨みが分かるのである。
と、かなり贅沢に体が犯されてきた発言だ。
最後は、デザート。
「洋ナシのタルトとスイカ」である。
今年初のスイカ。
去年食べたのと変わらぬ味。
日本の夏の代名詞である。
最後は、コーヒーでお終い。

1泊2食で8,400円とは、少々お高いような気もするが、目的が釣りなので情報収集を兼ねると妥当かな。

岩手県遠征1日目「稗貫川・猿ケ石川」

2010年07月11日 00時05分53秒 | ルアーフィッシング
金曜日は、夏休み第1段として岩手県の稗貫川と猿ケ石川へヤマメ釣りへ行きました。

東京から約5時間、ついに宮沢賢治が造りだした”イーハトーブ”の地、東野周辺で竿を出しました。
HUSLERの聖地とも言うべき場所に今まで足を踏み入れたことが無かった・・・。
綺麗なパーマークのヤマメに出会えると期待してビュンビュン車を飛ばした。
まずは、稗貫川で景気付け。
4時30分の朝マヅメになんとか間に合い、第1ポイントで第1投。

鬱蒼と茂る緑と澄んだ水色。
少々水量が多いがパーマークちゃんに何匹も出会えそうである。

期待の朝一は、ドラマが起こることなく第二ポイントへ。

堰堤である。
しかも、ほぼ自然が織りなす形。
ここで出なきゃ1日辛い事になるだろうと思いながら、ルアーをキャスト。
またしても、反応無し・・・。
焦りの色を滲ませ第三ポイントへ。

追いも無ければ、ヤマメちゃんの気配すら全く感じない。
あの5時間のドライブは何だったのだろうか・・・。
不安と不満が入り混じる感情を抑え、下流へ。
水量が微妙に多いので大石の裏をピンポイントにルアーを直撃する。

作戦が功を奏し、やっとこさ25cm位のパーマーク美人をゲット
しかし、ランディングネットの中で針を外そうとおてんば美人と格闘すると、元気よくネットから逃避行
嫌われました。
その後も何か所かポイント行脚したが、無反応。
数年前の爆釣天国は、何処へ。
そんなこんな悩んでいるとお昼。
今回は、遠征であったが、時間もあったので何時ものように自家製弁当、「シャケ海苔弁」を作ってみた。

家にある材料で作ったので、野菜が少なくバランスが悪い。
一応、卵焼きの中にニラを胡麻油で炒めて入れてみた。
ジャガイモとトウモロコシは塩茹で。
黒豆をいっぱい入れてみたが、弁当が横を向き散乱していた・・・。
竹輪は、醤油で炒め、カニかまとコロッケを冷蔵庫から失敬。
出発前の15分でさっと作った。
これを川辺で食べると実に旨い。
但し、シャケを弁当に入れると”鱒族の呪い”なのか目立った釣果が得られないと最近気付いた・・・。
気を取り直して、午後は、猿ヶ石川へ。
少し上流の里川風情の場所を攻める事に。
ボサ下へルアーをピンポイントに投入しなければならないので、技術と神経を使う。
更に上流でやっとこさチビ岩魚ちゃんに出会えた。



実に綺麗な岩魚だ。
東京から5時間。
こんな一尾で救われる。
その後も、数か所ポイントを廻るが実に渋い稗貫川と猿ヶ石川であった。