見てきたもの
説明は明日。
可愛いご近所のわんこ
記事は書いたもののどうも何かやたらに公開すべきでないという気がしてわんこの応援出演を頼んでみた。
おっはようございま~す。マリーで~す。
日曜日の朝なのにお前さんが出てくるとはどうしたんだって? だってしょうがないのよねえ。うちのおばはんときたらさ、勘違い記事を削除するのを忘れたまま2日も出したままだったりしてたから、顔出しできないんですって。それもあたしに書かせた記事なのよ。まったくあの人のドジって、なんて言えばいいのかわからないわ。だけど、どこでどう間違えたんだか当人が覚えていないってまったくどうなっちゃってるのかしら。うちのおばはん、昼間でも寝ぼけ頭だからどうしようもないんだわさ。許してやってね。
今日はあの人、ほんとに教会の「江戸の殉教者巡礼」にくっついていくつもりみたいなの。朝早く起きちゃってさ、大丈夫なのかしらね。昨日、前回参加したことのある知り合いに、どのくらい歩くのかとか、坂や階段はどうかって聞いてたわよ。あの人、足がだめだから階段はちょっと大変よ。さすがに心配だったみたい。でも階段以外はストック二本だと結構疲れないでちゃんと歩けるからかなりのところまで行ける筈よ。
でもって、ちょっと話は変わるけど、ねえ、ノーリッジのジュリアンていう名前きいたことあるかしら? なんか14世紀のイギリスの人らしいの。うちのおばはんはもうずっと昔に、C.S.ルイスの本の中でこの人が書いた言葉(もちろん、日本語に翻訳されてた言葉でだわよ)「全ては良し、全ては良し」って言うのを見てからずっと忘れずに覚えていて、その意味を考え続けていたの。そしてこのノーリッジのジュリアンてどういう人だったのだろうって、探していたんだけどその頃はどこにも手がかりがなかったの。カルメル会の今は亡き奥村神父様にも手紙で尋ねてみたけどご存知なかったの。だから、あっちこっちにノーリッジのジュリアンを知っておいでの方はいないかって聞いたけど,その頃は全然だめだったのよ。
ほんでもって、仕方がないからあの人も「全ては良し、全ては良し」っていうその言葉以外はいつの間にか忘れちゃってたの。だけど今はパソコンの時代じゃないの。NHKオンデマンドで大英博物館の事を見たおかげでノーリッジのジュリアンのことも思い出したのね。今なら少しは日本でも研究も進んだんじゃないかって気がついて久しぶりにノーリッジのジュリアンで検索したら、20数年前とは大違いよ。ノーリッジのジュリアンについてすっごく沢山の検索結果が出てきて、彼女がどういう方だったのか大まかなところがわかったわけよ。
たぶん研究者は彼女の外側しかわからないし、彼女の言葉を自分なりに少しでも理解することができるには、共通のあるいは似たような経験があって初めてそれが見えてくるんだって思うのよねえ。カルメル会の聖人たちの書き残したものとは違うタイプの神様との出会いだと思うのよね、どちらかというとフランシスコ会的な観想に近いのかもしれないわ。あ、あんまり生意気なことを言ってるとおばはんに怒られちゃうな、やめとこっと。あの人、ドジなくせに変なとこでうるさいのよね。やたらなことは言うなっていわれちゃいそう。
とにかくノーリッジのジュリアンて、面白いし、専門家だけしか知らないのじゃもったいないんじゃないかなあ。それもイギリスの風土にばかり結び付けていたら真実は見えてこないと思うの。外の世界を知らなかった筈のこの方が見ていたのは実は宇宙的な規模の世界だったんだと思うのよねえ。
でももうこの辺で話はおしまいよ。うちのおばはん、半日ちゃんと歩けるように足腰や膝に痛み止めを塗ったりして、いろいろと準備しなくちゃならないもん、そろそろしたくしなくちゃ。ほんじゃまたね。