カトリック浅草教会(続き)

2012-06-25 15:17:25 | インポート

昨日、6月24日(日)は聖イグナチオ教会の都内殉教者巡礼があり、キリシタン迫害の時代の江戸で幕府の迫害にあって殉教した人々の跡をたどって歩いた。といっても今回は去年の巡礼で少々強行軍だったことから、今年はかなりゆとりのあるコースになったのだそうで、足が問題で多分途中で落ちこぼれて先に帰ることになるだろうと思っていた当方もちゃんと最後までお付き合いできたのだった。

ただ、さすがに廻る場所は数が減り、小伝馬町牢跡、浅草吾妻橋周辺から浅草教会で、鳥越殉教の碑を見て、ミサにあずかって解散した。今回はよく知られた殉教者たちよりも、一般にあまり知られていない、しかし、忘れてはいけない鳥越の殉教者たちについて初めて知ることができた。

今はペトロの家においでになる澤田神父さまがその昔、浅草教会の主任司祭でいらっしゃったのだが、澤田神父様がこの鳥越殉教者について、忘れてはいけない記憶だとつねづね機会ある毎に人々に伝えようとしてこられたのだそうだ。キリシタン殉教の時代に同じ江戸の殉教者でもこの鳥越の殉教者たちは正式に列福もされず、広く世に知られることもなく、誰かが語りつづけなければ忘れられてしまいそうな小さな人々なのだが、歴史というのは本当はこういうあまり有名ではないたくさんの小さな人々によって成り立ってきたのではないだろうか。

有名な殉教者、聖人はもちろん素晴らしいが、あの時代、おそらく名もない証聖者たちがたくさんいたはずなのだ。せめて名前のわかっているこの方々の命がけの信仰の勇気は忘れてはいけないのではないかと考えさせられた。

浅草教会の裏手にこの鳥越殉教者の碑がひっそりと立っていた。浅草教会の名前は聞いていてもどこにあるのかも知らなかったのだが、JRの浅草橋から程近いことも初めて知った。門を入るとルルドのマリア様が見え、新しく立て直したという聖堂もなかなか美しい建物だ。

機会があったら実際に、出かけてみていただきたい。

追) 鳥越殉教者についての文献を探してみるとこれがありました。

   http://homepage2.nifty.com/gioan-awk/martyrs-8~torigoe.html