昨日、たまたま47ニュースを見たところ、上野毛教会でこのあいだ亡くなられた安岡章太郎先生の追悼ミサがあったと言う記事が出ていた。長いURLだが貼っておきたい。
北杜夫先生、安岡章太郎先生、お二人がお亡くなりになってしまうと、やっぱりほんとにさびしい気がする。何しろ、まだ中学生1、2年生の頃に北先生のどくとるマンボウ航海記に出会ったのが始まりで、北先生の大ファンになり、それがきっかけで遠藤周作先生の名を知り、高校の3年くらいから純文学の著作を、高校卒業間際の母の死以後、笑いで悲しみを吹き飛ばしてくださった遠藤先生の狐狸庵シリーズを読み、それで安岡章太郎先生や三浦朱門先生の著作にも手を伸ばすことになったと言う経緯があるのだ。
だから後年、遠藤先生にも甘えていたわけだが、イエズス会の司祭方はそれさえも真実は何もご存知ではないようだ。十代の頃からの読者だからといって、故人の先生の誕生祝いを知らなくてもおかしくはないのに、知らなかったから直接のかかわりがなかったとは限らないのだが。面倒だから説明はしない。でも今でも、ご存知の方は何人かおいでだ。
それはとにかく、安岡先生が洗礼をお受けになったときは本当にびっくりしたものだった。だって、お若い頃のご様子からいくと、まさかと思っていたのだ。受洗のときの写真ときたら、お顔まですっかり変わっていて、なるほどと思わされたものだった。
追悼ミサのあった上野毛教会は遠藤先生のほうにもご縁のある教会だった。当方は中川神父様の講座に時々うかがう程度だが、カルメル会の良い教会だ。思えば、はるか大昔、遠藤先生の書かれた「留学」だったと思うが、そこに幼きイエズスの聖テレジアに惹かれてカルメル会に入るためにフランスに渡る青年が登場していた。後年モデルだった実物の神父さまもわかった。その方もご家族の関係で上野毛教会とは縁のある方だ。
「聖書のなかの女性たち」の中に登場している、マチルド・ロアと言う少女のはなしが非常に印象的で心に残っていたのだが、後年、「死海のほとり」を読み、修道士ねずみの姿を見て泣いてしまったのは、遠藤先生の心の中でマチルド・ロアの詩はこういう形になっていったのかと感激したためだった。それで遠藤先生に手紙を書いたのが始まりだったのだ。個人的なことだからこれ以上言わないが、遠藤周作先生とは無縁などではなかったのだ。遠藤先生とのかかわりも奇妙な偶然がつづいてのことだった。
とにかく、そのご縁で今ここで、やはり昔からのご縁を感じる安岡先生とのお別れも悲しく思う。キリスト教の信仰では死は一時の別れだと言ってもやはり残念だ。