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ちょっぴり真剣

2013-04-04 15:12:04 | インポート

さて、ご覧のとおり、記事をひとつ削除してよそに移しました、この先どうなるのかわからない、plalaのブログ、もうそろそろちょっと休み休みにしてもいいかなと思っています。

と言いながら、聖書の集いに行って帰ってくると、やっぱり少し追加しておきたい。これはまたfacebookに書いたものをそのまま持ってきて付け足しを加えただけですが。

―日本ではイースター自体あまりなじみのないものなのだが、キリス<WBR>ト教では年間の一番大きなお祝いだろう。

お祝いだし、めでたいこ<WBR>と、喜びのときのはずなのだが、これは不思議な喜びで、グレゴリ<WBR>アンチャントの復活の続唱の奥に響くなんともいえない哀調はなん<WBR>だろう。

主の受難、死と復活を思いながら、われわれ人間の心の奥<WBR>には同時に一人一人、誰にも避けられない自分自身と愛する者の生<WBR>と死の重みが響いているのではないか。

このお祝いをお祝いたらし<WBR>めているのは、実に信仰だけなのだ。「見ずして信ずる者は幸い」<WBR>の言葉は今もキリストを信じる人々へのひとつの励ましの言葉でも<WBR>あるような気がする。―

これを朝書いて、夕方、真生会館に出かけたところ、今日の聖書の集いのテキストの福音と、福音のヒントを読み直して、これにプラスしてキリスト教の中心的な教え、愛とか許しと言うことを思い出してみるならば、それを実現するためには、人間同士がお互いに相手も自分と同じように喜んだり、悲しんだり、苦しんだりしながら生きていて、いつかはお互いにこの世から去っていく身なのだということに思い至って見た時、初めてそれが少しずつでも可能になっていくのではないかと思えた。きれいごとの理想を並べ立てるのと実現していくのはまたちょっと違うから、あまり夢ばかりを語ることはしないでおく。