パンとぶどう酒のマルセリーノ

2011-10-14 22:43:39 | インポート

お晩だす。 えへへ、マリーでーす。 ほんとは今日はうちのおばはんの番だったんだけど、フェイスブックでとんだ失敗をしてこちらを書くだけの気力がなくなっちゃったんですって。だってさ、あの人ったら、知り合いの人の写真のアルバムのほうを見て、センスいいなあと思ってシェアしたら、おばはんのところに載った写真ときたらさあ・・・・オッホン、武士の情けじゃ、黙っておいてやるぞい。

まったく、うちのおばはんてどうしてこうドジなのかしらねえ。あきれちゃうわ、そりゃあ、気力もなくなるでしょうよ。普段の注意力が足りないから、間の抜けた失敗をするのよ、まったく。

しょうがないから、またあたしが出てきたんだけど、可哀想だから少しいつもと違うはなしにするわね。さっき、あの人、近くのクイーンズ伊勢丹に買い物にいったの。ただの日用品だけ買うつもりだったんだけど、行ってみたらちょうどパンのタイムセールがはじまったところだったらしいのよ。クイーンズ伊勢丹は高級スーパーだから、お値段は張るけど、パンでも、お惣菜でも、みんな味がいいというか、おいしいんだって。だからあの人、これはちょうどいいって、パンを多めに買ってきたわよ。

すぐ食べる分と冷凍保存しておいて大丈夫な分と両方買ったのね。すぐ食べるのはおかずパンよ。ほら、コロッケとか、メンチの挟んであるパン。ところがねえ、クイーンズ伊勢丹のおかずパンは普通のお店で売っているものとは格段の違いよ。お値段も違うけど、とにかくパンがおいしいの。うちのおばはんが肩や腕、それに手首や指の使いすぎで(あの人、元々タイピストや写植のオペレーターをしていたから職業病なの。頚肩腕症候群よ)粉を捏ねるのがつらくなる前は自分でパンやうどんもつくっていたの、それで焼きたてのパンのおいしさは知っているし、そこいらに売っているパンは本物じゃないと思っているのね。クイーンズ伊勢丹の焼きたてのパンは本物の味がするのよ、おいしいの。

日本では古来主食はお米や麦、雑穀を炊いて食べる形だったわけだけど、欧米はもちろん、聖書の生まれた中東やアフリカ、インドとか世界の広範囲で、穀物の粉を練ってイーストを使ったり、使わなかったり、いろいろだけど、広い意味でのパン食の長い歴史があるわけなんだわさ。

それでね、このあいだ、うちのおばはんがyoutubeで昔のスペイン映画の「マルセリーノの歌」を見つけて、久しぶりで全部初めから終わりまで見たの。日本語のタイトルでは「マルセリーノの歌」だけど、元のタイトルは「パンと葡萄酒のマルセリーノ」なのよね。クイーンズ伊勢丹で買ってきたパンを食べたらあの人、パンと葡萄酒のマルセリーノの話を思い出しちゃったの。普通の日本人だったら、パンと葡萄酒といってもピンとこないかもしれないけど、キリスト教でパンと葡萄酒っていったら、キリストの御血と御体のこと、ご聖体のことなのよねえ。

ヨーロッパの人たちって、意識していなくても、教会のミサに行かなくても、普通の毎日の食事の度に、日本だったらご飯とお味噌汁みたいに日常的な当たり前のパンと葡萄酒が、実はそのまま宗教的、精神的なシンボルでもあるっていう世界に生きてるわけよ。日本人にとってのキリスト教がどうも付け焼刃的なものなのもこれを思えば当たり前かもしれないって思わない?

うちのおばはんの生まれ育ったのは先祖代々、鎌倉以来の土地と人の中だったから、外に出てみて、日本とキリスト教の問題なんかを考えていくと、歴史や伝統の持つ意味の重さにも目がいくわけよ。信仰って言うのも、多分一代や二代ではまだまだ上辺だけのものなのかもしれない。やっぱり代々の人たちの生活の中に染み込んだ信仰っていうのを育てていかなくちゃいけないのだし、今はとにか長い目でみていくしかないのかなあ、とか、でも途中で道を踏み間違えて世間一般と一緒の道を生きてしまわないように、しっかりしたものも必要なんだろう、とか、クイーンズ伊勢丹のパンからあの人、とんでもない方向に考えが向いちゃったみたい。

まあ、物事簡単なはなしばかりじゃないわよ。今日の話はこんなとこかしら。こんなに長々とおしゃべりしたんだし、あの人のおっちょこちょいなドジの件は忘れてよね。ほんじゃまた来週ね。