話の続きはどうなった?

2011-10-13 21:16:58 | インポート

こんばんは~、マリーで~す。 うちのおばはんは今日は本当なら聖書の集いに行ってる筈なんだけど、駅まで行ったら総武中央線の各駅も快速も人身事故で動いてなかったんですって。快速が動いても信濃町は各駅の駅だから、四谷からちゃんと乗り換えできるかどうかわからないし、どっちにしてもかなりの遅刻になっちゃうから今日は行くのやめたって帰ってきちゃったのよ。それで今日はこんな時間にあたしに手伝わせておとといの話の続きを書こうってわけなの。

といってもねえ、うちのおばはんもこれは簡単な話ではないし、もっと時間を掛けて調べてまとめなければいけないような話だから、安易に書いてよいようなことではないんだって言うの。あの人がこの話に引っかかったのは、あの人自身が自分の生まれ育った環境とか教育で、仏教にかなり影響を受けていて、その上で、キリスト教の信仰を持つようになった歴史があるからなの。あんまり簡単に割り切れないのよ。

あの人のお父さんの生まれ育った家は鎌倉時代からの日蓮宗の古い有名なお寺さんに縁のあるお家で、おまけにお父さんの実父という人はお坊さんだったんですって。そのせいなんでしょうね、お父さんっ子だったうちのおばはんは、小さいときからすごくお父さんに影響を受けてきたんだけど、それがやっぱりお父さんの関係してきた仏教や天理教の影響なのね。

だからあの人、遠藤周作先生や井上洋治神父様の提示した日本とキリスト教の問題に触れたとき、これは自分自身の問題だって感じたのよ。ただ、この数十年、うちのおばはんを理解するどころか、一生懸命足を引っ張ってばかりいた上の人があの人の話をほとんど闇に葬って人に知られないようにしちゃってたから何にも言えない状況だったのよねえ。

今は、状況も変わってはきたけれど、日本人の社会構造も精神性も以前とはずいぶん変わってきているから、うちのおばはんの感じていることも今の時代の人に伝わるかどうかどうもあやしいところなんだって。人心の荒廃って言葉が思い浮かんじゃうんだって言ってたわ。ところがそんな時にあの東日本大震災に、巨大津波とそれが原因になった原子炉事故がおきて、宗教関係のボランティアもかなり馳せ参じたわけよ

それはいいんだけど、うちのおばはん、カトリックの考え方もプロテスタントの考え方も両方見てきた人なんだけど、普通一般の日本人にとってのキリスト教との距離の問題が今回また大きくクローズアップされた気がしてるのね。うちのおばはんにとってはお父さんを通して、仏教や天理教の考え方からキリスト教の唯一全能、天地万物の創造主なる父なる神様の道はそんなに遠くなかったからすんなりキリスト教にきちゃったんだけど、なんかねえ、普通の世間一般の日本人にとってのキリスト教って、すごくいびつなものの感じがするの。

キリスト教の信者といっても、「愛」という実の伴わない理屈だけの信仰とか、選民意識とか、へんてこなものがまかり通っていたりして、本当に苦しんでいる人たちの心にキリスト教の光が届かないの。こんなこと言っちゃまずいのかなあ。後であの人に怒られちゃいそう。だけど、脇から見ているあたしなんかには。なんとなくそんなところが感じられちゃうのよねえ。これ以上言うとやっぱりまずいなあ。やめとこっと。

とにかく、あの人、この問題はもっと時間を掛けて考えてからでないと書けないみたいよ。結局日本とキリスト教の問題にも関係したすごく大きな問題なのよね。て、わけで今日のところはこの辺で終わりにしま~す。

ほんじゃまたね。