peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都21:神護寺への道

2010年02月16日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

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2010年2月5日(金)、「平家物語ゆかりの地を巡る旅」第2日。祇王寺と滝口寺を巡って、次は愛宕山の東支峰の一つ高雄山中腹にたたずむ神護寺(京都市右京区梅ケ畑高雄町5番地)。空海(弘法大師)が真言密教の礎を築いた寺として名高い。また、洛北の紅葉の名所・高雄に位置する。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~kosho/ [弘法大師霊場 遺迹本山 高雄山神護寺ホームページ]

高台にある駐車場に駐車したバスから降りて、「高雄神護寺方面」と書かれている近道と思われる下の方に向かって歩く。急な坂道で、前途多難が予想される。

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 広い階段を下りながらふと横を見たら、「この階段は私道です。通行されるのはかまいませんが、事故等についての責任は持ちません。」と書かれていた。こんな立派な階段が私道とは驚きだが、下の旅館・もみぢ家のものだった。

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この道をずっと下って行って、清滝川に架かる高雄橋を渡ると「神護寺」へ行く参道石段のようだ。神護寺までの距離は書かれていないが、「神護寺20分」とある。また、槇尾山西明寺や高山寺もある。

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下り道の左側の急斜地には、楓の木が沢山あり、秋の見事な紅葉が想像される。

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 清滝川の対岸に生えている木に真っ赤な実が付いていた。ウメモドキではないだろうかなどと思いながらも、名前はわからずじまい。

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 高雄橋を渡った所にもマップがあり、道しるべがあったが、距離はよくわからない。

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この「高雄茶屋」は開店していたが、皆先に行ってしまったので素通りする。

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 道の上の平地に「お食事処高雄茶屋」があった。紅葉の時期は混むのだろうなどと思いながら、先に進む。

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 地図にあった「硯石」ではないかと思って近づいて見たら、やはり「硯石」だった。

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 硯石:空海弘法大師が神護寺に在山の時、勅額の依頼を受けられたが、急な五月雨で橋が流されたため、この石を硯として対岸に立てかけた額に向けて筆を投げられたところ、見事に「金剛定寺」の四文字を書かれたという。但し、この寺は現存していない。

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 硯石からさらに石段が長く続いている。ここから楼門までは残り100段ほどだが、息が切れる。楼門に近い所の石段を補修している人たちがいた。

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ようやく神護寺の楼門に着いた。堂々たる構えの門である。

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平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都20:滝口寺とラッパズイセン

2010年02月16日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

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 滝口寺の表門は、祇王寺の横のなだらかな石段を登りつめた所にある。

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 2010年2月5日(金)、「平家物語ゆかりの地を巡る旅」の2日目。この日最初に訪れた嵯峨の小倉山の麓にある祇王寺の次は、10mほどしか離れていない南隣にある滝口寺(たきぐちでら)。この寺は、平家物語「維盛高野」の巻で語られている滝口入道と横笛を祀る寺である。また、明治の文豪・高山樗牛(ちょぎゅう)の歴史小説「滝口入道」の主人公としても有名で、滝口入道と横笛との悲恋を今に伝えている。

 現在は浄土宗 大覚寺塔頭 小倉山 滝口寺 京都市右京区嵯峨亀山町10-4

 滝口入道とは、宮中警護に当たる滝口(清涼殿の東北の詰所)の武士・斎藤時頼のことで、平重盛の家臣だった人物。建礼門院の雑仕女(ぞうしめ)の横笛に恋するが、身分違いのため、父の許しを得られず、出家する。横笛は滝口入道への思いが高じ、当時、往生院で修行していた滝口入道を訪ねるが、滝口入道は仏に仕える身であることを理由に会おうとせず、横笛は悲しみのあまり、大堰川に身を投げたとも、出家したともいわれる。一説には、横笛は滝口入道が修行していた高野山まで会いに行ったともいわれ、高野山には「横笛の恋塚」が残っているという。

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表門を潜ると拝観券受付所があり、その左奥に鎌倉幕府を倒した悲運の武将・新田義貞公首塚と勾当内侍供養塔がある。越前(福井県)で足利尊氏との戦いで討たれた新田義貞の首は、後に京の三条河原で晒しものにされていた。それを知った妻・勾当内侍(こうとうのないし)は、夫の首を密かに盗み出してここ嵯峨野に埋葬し、出家して夫を弔い生涯この地で暮らしたという。 歴史文学「太平記」に出てくるとのこと。 滝口寺は、滝口入道と横笛そして新田義貞と勾当内侍の2つの悲恋を語り継ぐ寺だったのである。

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 (上)新田義貞公の首塚(中央の奥)

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 (上)勾当内侍の供養塔

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 参道が2つに別れており、右に行けば本堂の横に出る。

 左に行けば、「三宝寺歌石」の前を通り、本堂前に出る。どちらも上り坂。

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(上)右の上り坂

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(上)左の上り坂の石段の途中に「滝口と横笛歌問答旧跡 三宝寺」(「三宝寺」は旧寺名)と刻まれた歌碑がある。その横に横笛が指を切り、その血で自分の気持ちを伝えたといわれる石がある。山深み思い入りぬる芝の戸のまことの道に我れを導け

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(上)横笛が自分の血で歌を書いたと伝わる石。石には苔が生え、滝口に会えずに帰る横笛の悲痛な思いが籠っているようだ。

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 石段をさらに登ることしばらく、視界が広がり本堂正面に出る。カエデと竹林が広がり、秋には見事な紅葉が見られると思われる。

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本堂から少し離れた所に滝口入道と平家一門の供養塔が建っている。

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 本堂奥の庭園の中に建つ平重盛を祀った「小松堂」。滝口入道(出家前の斎藤時頼)の主君は小松内大臣重盛。

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拝観券受付所に全体が黄色のラッパズイセンが飾られていました。

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ラッパズイセン(喇叭水仙) ヒガンバナ科 スイセン属 Narcissus pseudo-narcissus

スイセンの仲間はヨーロッパ中南部から地中海沿岸に広く分布し、園芸品種も多数育成されている。ラッパズイセンは花の中心の副花冠が長く、ラッパ状になっているのが特徴。花は花茎の先に1個つく。花弁は黄色のものが多く、副花冠は黄色、オレンジ、白などがある。[以上、山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑1・春の花」より]

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滝口寺山門を入ったのが9:30時、この駐車場に戻ったのが9:50時。

これからまた、歩いて来た道をバスが駐車している所まで歩いて戻らなければならない。

次の訪問先は、神護寺(京都市右京区梅ケ畑高雄町5番地)である。

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 http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/takoguthi-dera.htm [奥嵯峨野(愛宕道)を歩く:滝口寺]