peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都1:比叡山延暦寺(1)

2010年02月07日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

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 一関駅6:46発の特急やまびこ42号~東京駅8:28着(東北新幹線)、東京駅9:47発のぞみ221号(東海道新幹線)に乗り換えて京都駅に予定(12:08)通り到着。

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 延暦寺(東塔)第一駐車場にて 貸切バス

写真を撮るゆとりもなく、京都駅八条口西で待機していた貸切バスですぐに最初の見学場所の比叡山延暦寺に向かう。貸切バスは人数から想像していたものより大きく、各自2座席を1人占め。お陰様、ゆったりとした姿で3日間同じバスと運転手にお世話になりました。

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2010年2月4日(木)~6日(土)の2泊3日で、「平家物語ゆかりの地を巡る旅」に行ってきました。一関市東山公民館主催の平成21年度文学講座に参加した人たちの中から、講師の村上徳一先生(千厩町)をガイド役にして、男性5名、女性5名の合わせて10名のツアーでした。

 厳冬期ゆえ、天候が心配でしたが、3日間とも見学中は良い天気に恵まれ、大変楽しい旅でした。皆に迷惑をかけながら沢山写真を撮ってきましたので、順次掲載します。

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海だべがど思ったら琵琶湖だという。帰路にバスのガラス窓越しに撮影。比叡山はかなり高い山の中腹にあるので、往復ともバスの窓からの眺めは大変良いものでした。

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駐車場~拝観入口~国宝殿~瑞雲院~大講堂~鐘楼~根本中堂の順に歩く。

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(上)国宝殿(時間の関係で入館せず)

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(上)祖師御行積絵看板について:比叡山延暦寺は延暦7(788)年、伝教大師最澄上人が22才の時に開かれた鎮護国家・人材育成の根本道場であります。1700町歩(1700ヘクタール)にわたる延暦寺の寺域は、東塔、西塔、横川の3塔16谷にわかれており、それぞれの塔堂伽藍では伝教大師の定められた制式に従って、鎮護国家と人々の平安を祈願して日夜修行が行われております。

 鎌倉時代には浄土宗の法然上人、浄土真宗の親鸞聖人、臨済宗の栄西禅師、曹洞宗の道元禅師、日蓮宗の日蓮聖人などの各宗のお祖師さまたちが比叡山で修学され、それぞれの宗派をお開きになりました。

 現在にいたりこの山は、「日本仏教の母山」として教宗派を問わず多くの人々から崇められ、平成6年12月に世界文化遺産として登録されました。

 延暦25(806)年に桓武天皇によって立教開宗が認められ、平成18年をもって天台宗は開宗1200年を迎えました。この開宗1200年慶讃大法会に当たり十方有縁のご協賛を得て、伝教大師を始めとする比叡山の高僧や、比叡山から排出されたお祖師さまたちの御行積絵看板を修復して境内に掲げました。この御行積を拝読されることを通じて、伝教大師による「一隅を照らす」人材養成の理念に触れていただき、また触れていただくことが国宝的人材あふれる明るい社会の建設を資すものであると願って止みません。比叡山延暦寺

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宝物館入口の辺りからこの上り坂の両側に「祖師御行積絵看板」が15基ほど建てられていました。上は、伝教大師伝(1)ご誕生。下は伝教大師伝(15)

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大講堂

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「開運の鐘」鐘楼

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国宝・根本中堂:この根本中堂には「不滅の法灯」と呼ばれるものがあるが、戦国時代に織田信長軍の焼き討ちにあって一旦途絶えたという。その時、山形県の山寺として知られる立石寺(りっしゃくじ)に分灯されていた法灯を移して繋がれたという。

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(上)と(下)伝教大師童形像

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比叡山には延暦寺という単一の堂宇はありません。比叡山の全体が延暦寺であり、この山の自然、諸堂、そこで修行する人、訪れる人のすべてが、一つの僧伽(そうぎゃ=和合僧=僧団)をかたちづくっているのです。これは、存在するすべてのものに仏性を見いだす、天台の一乗の精神を具現しているかのようです。[比叡山延暦寺発行の冊子「比叡山」”比叡山へのいざない”より]

http://wadaphoto.jp/japan/ei4.htm [夏の叡山延暦寺(法灯)]