京都 洛北の時計師 修理日記

時計修理工房「ヌーベル・パスティーシュ」京都の洛北に展開する時計修理物語。
夜久野高原で営業再開しました。

時計師の京都時間「京の話半分」

2020-09-29 09:25:04 | 時計修理

9月29日火曜日。友引。明日は月末の水曜日あっという間に10月が来る。
京都は四季でなく春と秋がない二季の街。4月~9月は夏、10月~3月は冬。
これから一瞬やってくる秋を見逃さないことです。世界で一番美しく切ない秋が来る。
「猫の子が ちょんと おさえる 落ち葉かな」一茶。

洛北では10月に入って当然寒くなる日もあります。
私は11月16日の炉開き(亥の子)の日までストーブは頑張って出さない。
京の冬は炉開きから始まる。
この日が来るまでは秋だと痩せ我慢する。
そこは九州男児の私!京都で決まったことなら震えながら耐えるのだ。

九州出身者のみなさま「九州男児」は都会では誉め言葉ではないので気を付けましょう。
これは九州男児=田舎者の意を優しく表現する言葉です。
持ち上げて落とす手法が見事。
「骨は拾ってやる!」というので仕方なく受けた出向で結局戻れなくなった。
人事異動で社宅と言われた一軒家はお墓の裏お化け屋敷だった。
「骨を拾ってやる」と言わる異動、「九州人は使い捨て」と同じ意なのだ。
昔、ヨーロッパへ向かう北回りアンカレッジのうどん屋さん。飛び交う言葉で博多のうどん屋にいるような錯覚がした。
昭和時代「使い捨て社員」という言葉は九州人のためにあったとおもう。
大分のキャノン、長崎のソニーの工場の派遣社員がたどった運命を見てわかる。

「おいの命ば あんたに くりゅーだい!」「GO FOR BROKE!」
当たって砕けた歴史がある!
有名な硫黄島の玉砕戦で鹿児島県出身のおじが死んだ。
アメリカ422(しににいく)部隊。
ルーズベルト大統領の保身のためにハワイの日系人がヨーロッパ戦線へ送り出されてほとんど玉砕。
こんな話を長崎の炭鉱町で子守歌のように聞いて育った。
「生きているだけでまだまし」な人生はある。
「長崎人の話は話半分!」ちょっと大げさな話が多いが時折強烈な真実の話がぽろっと出る。
「話半分」で真実をオブラートで優しく包んでいるようです。
それでも母の実家を整理した時、母屋に掛けてあったずらっと戦死した慰霊の写真の列、列。
こんな母の兄弟さんたちの生きていた証拠の写真の処分には困った。

昨日、リカマンへ嫁の寝酒を買いに行く。店内は第三のビールの客さんの長い列ができていました。
一日一日、毎日が終わりの覚悟で生きている私、最後の一本にエビスビールがいいと思う。
今月も無借金で終わった。やれやれ、ほっとしていますよ~。









コメント
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