セガン追悼記念、まじめに、ばかっ話】
ぼくがリハビリ運動に取り入れている球投げ球拾いが、セガンの白痴教育における「九柱戯」(ナインピン・ボーリング)導入と、論理がよく似ているらしいなあ、という感慨を持った。
つまり、白痴といっても、しばしば誤解・曲解されるような、「おつむだけ」の問題では無く、身体機能不全とも関わっており、麻痺の強い子どもには、球を投げてピンを倒し、ゲームを続けるために、球を拾いピンを立て並べる行為をしなければならない、これらの行為が「遊び」として子どもに受け入れられ、身体機能の改善に有効だ、というのだ。なるほど!
ぼくの球投げ球拾いとセガンの教育実践としての「九柱戯」との大きな違いは、ぼくは孤独・孤立した遊びであり、「九柱戯」は子どもたちの集団遊びという違いである。そしてこの違いはじつに大きい。
セガンは、子どもが仲間とともに共通の遊びをすることの大きな意味を、かなりの字数を用いて、論じている。
(添付写真は「九柱戯」のピンの並び方)
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