晴れ
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風呂の焚き付け口が壊れた。何もかも、壊れっぱなし。弘美君に頼りっぱなしの自分がつらい。
1871年5月中旬、フランス・パリの街は火の海となった。
誰かが火を放ったのだけど、偶発か、作為的か。大佛次郎『パリ燃ゆ』主題だ。
反政府側の「パリ・コミューン」軍の敗色がはっきりしていた。
対戦に敗北を自覚した時点で、多くの戦史が遺していることは、敗北自覚側が、自身の「持ち分」を、敵軍に奪われる前に、何らかの手を使って、この世から無くしてしまうこと。まさに、「死んでもきゃつを太らせるものか!」なのだ。
かくして、戦記にはこう記録される。「指揮官Xは、すべての建築物等を破壊・消失せしめた。」
間違っても、「どこまでも卑劣な政府軍の仕業だ。パリ市民の貴重な資産を灰燼に帰せしめた。」などと、「パリ・コミューン研究ノート最終号」に綴ることの無いように、ね、O先生。
添付絵は、象徴旗(赤旗。ただし、パリ・コミューンでは黒旗が振りかざされることの方が多かった)を振りかざしながら放火にいそしむ女闘士。
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