池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

チャールズ・ディケンズ【クリスマス・キャロル】第四章「最後の精霊」(英語原文朗読+和英対照表)

2022-12-12 11:56:27 | 日記

チャールズ・ディケンズ【クリスマス・キャロル】第四章「最後の精霊」(英語原文朗読+和英対照表)

 

チャールズ・ディケンズ作【クリスマス・キャロル】、第四章「最後の精霊」の(英語原文朗読+和英対照表)バージョンです。

三番目、つまり最後に現れたのは、「未来の精霊」です。この精霊は、黒ずくめの格好で、手先だけが見えており、残りの部分はまったくわかりません。おまけに、この精霊は何も語りません。手で方向を指さすだけです。

この精霊とともに、スクルージは、未来のクリスマスに入っていきます。そして、自分の死という人生最大の問題と向き合うことになります。

 

太宰治がクリスマスをテーマにした短編を書いています。

概要欄に転記するには少し長いので、前半と後半の二つに分けます。

 

 

メリイクリスマス(前半)

太宰治

 

 東京は、哀《かな》しい活気を呈していた、とさいしょの書き出しの一行《いちぎょう》に書きしるすというような事になるのではあるまいか、と思って東京に舞い戻って来たのに、私の眼には、何の事も無い相変らずの「東京生活」のごとくに映った。

 私はそれまで一年三箇月間、津軽の生家で暮し、ことしの十一月の中旬に妻子を引き連れてまた東京に移住して来たのであるが、来て見ると、ほとんどまるで二三週間の小旅行から帰って来たみたいの気持がした。

「久し振りの東京は、よくも無いし、悪くも無いし、この都会の性格は何も変って居りません。もちろん形而下《けいじか》の変化はありますけれども、形而上の気質に於いて、この都会は相変らずです。馬鹿は死ななきゃ、なおらないというような感じです。もう少し、変ってくれてもよい、いや、変るべきだとさえ思われました。」

 と私は田舎《いなか》の或《あ》るひとに書いて送り、そうして、私もやっぱり何の変るところも無く、久留米絣《くるめがすり》の着流しに二重まわしをひっかけて、ぼんやり東京の街々を歩き廻っていた。

 十二月のはじめ、私は東京郊外の或る映画館、(というよりは、活動小屋と言ったほうがぴったりするくらいの可愛らしくお粗末な小屋なのであるが)その映画館にはいって、アメリカの写真を見て、そこから出たのは、もう午後の六時頃で、東京の街には夕霧《ゆうぎり》が烟《けむり》のように白く充満して、その霧の中を黒衣の人々がいそがしそうに往来し、もう既にまったく師走《しわす》の巷《ちまた》の気分であった。東京の生活は、やっぱり少しも変っていない。

 私は本屋にはいって、或る有名なユダヤ人の戯曲集を一冊買い、それをふところに入れて、ふと入口のほうを見ると、若い女のひとが、鳥の飛び立つ一瞬前のような感じで立って私を見ていた。口を小さくあけているが、まだ言葉を発しない。

 吉か凶か。

 昔、追いまわした事があるが、今では少しもそのひとを好きでない、そんな女のひとと逢《あ》うのは最大の凶である。そうして私には、そんな女がたくさんあるのだ。いや、そんな女ばかりと言ってよい。

 新宿の、あれ、……あれは困る、しかし、あれかな?

「笠井さん。」女のひとは呟《つぶや》くように私の名を言い、踵《かかと》をおろして幽《かす》かなお辞儀をした。

 緑色の帽子をかぶり、帽子の紐《ひも》を顎《あご》で結び、真赤なレンコオトを着ている。見る見るそのひとは若くなって、まるで十二、三の少女になり、私の思い出の中の或る影像とぴったり重って来た。

「シズエ子ちゃん。」

 吉だ。

「出よう、出よう。それとも何か、買いたい雑誌でもあるの?」

「いいえ。アリエルというご本を買いに来たのだけれども、もう、いいわ。」

 私たちは、師走ちかい東京の街に出た。

「大きくなったね。わからなかった。」

 やっぱり東京だ。こんな事もある。

 私は露店から一袋十円の南京豆《ナンキンまめ》を二袋買い、財布《さいふ》をしまって、少し考え、また財布を出して、もう一袋買った。むかし私はこの子のために、いつも何やらお土産《みやげ》を買って、そうして、この子の母のところへ遊びに行ったものだ。

 母は、私と同じとしであった。そうして、そのひとは、私の思い出の女のひとの中で、いまだしぬけに逢っても、私が恐怖困惑せずにすむ極めて稀《まれ》な、いやいや、唯一、と言ってもいいくらいのひとであった。それは、なぜであろうか。いま仮りに四つの答案を提出してみる。そのひとは所謂《いわゆる》貴族の生れで、美貌《びぼう》で病身で、と言ってみたところで、そんな条件は、ただキザでうるさいばかりで、れいの「唯一のひと」の資格にはなり得ない。大金持ちの夫と別れて、おちぶれて、わずかの財産で娘と二人でアパート住いして、と説明してみても、私は女の身の上話には少しも興味を持てないほうで、げんにその大金持ちの夫と別れたのはどんな理由からであるか、わずかの財産とはどんなものだか、まるで何もわかってやしないのだ。聞いても忘れてしまうのだろう。あんまり女に、からかわれつづけて来たせいか、女からどんな哀れな身の上話を聞かされても、みんないい加減の嘘《うそ》のような気がして、一滴の涙も流せなくなっているのだ。つまり私はそのひとが、生れがいいとか、美人だとか、しだいに落ちぶれて可哀《かわい》そうだとか、そんな謂《い》わばロオマンチックな条件に依《よ》って、れいの「唯一のひと」として択《えら》び挙げていたわけでは無かった。答案は次の四つに尽きる。第一には、綺麗《きれい》好きな事である。外出から帰ると必ず玄関で手と足とを洗う。落ちぶれたと言っても、さすがに、きちんとした二部屋のアパートにいたが、いつも隅々《すみずみ》まで拭《ふ》き掃除《そうじ》が行きとどき、殊にも台所の器具は清潔であった。第二には、そのひとは少しも私に惚《ほ》れていない事であった。そうして私もまた、少しもそのひとに惚れていないのである。性慾に就《つ》いての、あのどぎまぎした、いやらしくめんどうな、思いやりだか自惚《うぬぼ》れだか、気を引いてみるとか、ひとり角力《ずもう》とか、何が何やら十年一日どころか千年一日の如き陳腐《ちんぷ》な男女闘争をせずともよかった。私の見たところでは、そのひとは、やはり別れた夫を愛していた。そうして、その夫の妻としての誇を、胸の奥深くにしっかり持っていた。第三には、そのひとが私の身の上に敏感な事であった。私がこの世の事がすべてつまらなくて、たまらなくなっている時に、この頃おさかんのようですね、などと言われるのは味気ないものである。そのひとは、私が遊びに行くと、いつでもその時の私の身の上にぴったり合った話をした。いつの時代でも本当の事を言ったら殺されますわね、ヨハネでも、キリストでも、そうしてヨハネなんかには復活さえ無いんですからね、と言った事もあった。日本の生きている作家に就いては一言も言った事が無かった。第四には、これが最も重大なところかも知れないが、そのひとのアパートには、いつも酒が豊富に在った事である。私は別に自分を吝嗇《りんしょく》だとも思っていないが、しかし、どこの酒場にも借金が溜って憂鬱《ゆううつ》な時には、いきおいただで飲ませるところへ足が向くのである。戦争が永くつづいて、日本にだんだん酒が乏しくなっても、そのひとのアパートを訪れると、必ず何か飲み物があった。私はそのひとのお嬢さんにつまらぬ物をお土産として持って行って、そうして、泥酔《でいすい》するまで飲んで来るのである。以上の四つが、なぜそのひとが私にとって、れいの「唯一のひと」であるかという設問の答案なのであるが、それがすなわちお前たち二人の恋愛の形式だったのではないか、と問いつめられると、私は、間抜け顔して、そうかも知れぬ、と答えるより他は無い。男女間の親和は全部恋愛であるとするなら、私たちの場合も、そりゃそうかも知れないけれど、しかし私は、そのひとに就いて煩悶《はんもん》した事は一度も無いし、またそのひとも、芝居がかったややこしい事はきらっていた。

「お母さんは? 変りないかね。」

「ええ。」

「病気しないかね。」

「ええ。」

「やっぱり、シズエ子ちゃんと二人でいるの?」

「ええ。」

「お家は、ちかいの?」

「でも、とっても、きたないところよ。」

「かまわない。さっそくこれから訪問しよう。そうしてお母さんを引っぱり出して、どこかその辺の料理屋で大いに飲もう。」

「ええ。」

 女は、次第に元気が無くなるように見えた。そうして歩一歩、おとなびて行くように見えた。この子は、母の十八の時の子だというから、母は私と同じとしの三十八、とすると、……。

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