それは、かなり鮮明な形で私に現われた。手紙を見ながら眉に皺を寄せて小声で話し合う両親。転がった運動靴。固く閉ざされた病室。棺を前にして号泣する伯父夫婦。遺影。雪の残った山脈を背景に手を振りながら遠ざかる従兄弟。私の脳裏を過ぎ去っていったそれらの映像は、一つの事しか示していないように思えた。
従兄弟の死である。
私は、そのことを両親に言うべきかどうか、迷いに迷った。事前に知らせることによって死を回避できる道が開けるかもしれないと思ったからだ。同時に、そんなことを口にしたら、厳格だった父や迷信深い母からひどく罵倒されるだろうことも予測できた。正直に夢のことを話し、なおかつ従兄弟が死んでしまったら、私は従兄弟を死に追いやった張本人にされるのではないかという危惧もあった。
そんな葛藤の中、ぐずぐずと口に出せずにいると、夢から半年ほど経った頃、従兄弟が急病で入院したと聞いた。彼は受験を控えた高校三年生だった。痩せ型でさほど健康的とは見えなかったが、それでも普通に学校に通い友達と交流する普通の学生である。詳しい話は聞いていないのだが、突然高熱を出して倒れ、すぐに病院に緊急搬送されたものの、意識が混濁したまま一週間で急逝したのだ。
この出来事は、私を長らく苦しめた。自分が正直に話していれば従兄弟は死なずにすんだのではないかと思ったからだ。従兄弟は遠方に住んでいたので、顔を合わせる機会は多くなかったが、温厚で正直な性格は強く印象に残っている。それだけに、自分の罪悪感も深かった。中学生になっても、その種の夢はたびたび私に訪れた。その度に私は従兄弟のことを思い出し苦しい気持ちになった。高校に入学してしばらくした時、自分で自分がイヤになった。こんな奇体な夢に追いかけられている自分が許せなかった。性格を根本から変えてやろうと思った。
それまでの私は、無口で偏屈で横柄な態度をとる生徒に見られていたと思う。それを変えるために運動部と文化部に同時に入った。それまでは、授業が終わればすぐに帰宅して読書していた。同じクラスの気になる女生徒に告白し、週末には一緒に映画館に行ってデータした。しばらく本から遠ざかり、音楽ばかり聴いていた。そんな生活が功を奏したのか、薄気味悪い夢を見なくなった。
霊感というのは、年齢や状況によって強くなったり弱くなったりするという話を聞いたことがある。私の予知夢もその類いではないかと思った。
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