池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

アビダルマ哲学要諦(23)

2024-06-09 10:06:48 | 日記

このことを念頭に置いて、アビダンマ自体では知られていないか、または目立っていないような、注釈書独特のアビダンマ概念について、いくつか簡単に触れておく。その一つは認知プロセス(cittavīthi)を詳細に記述している点である。この概念は、三蔵の中で暗示的に認めることができるが、注釈書では、それを抽出し、それ自体を説明の道具として用いている。アビダンマではチッタ(心)の働き、様々な意識タイプが指定されているが、時間とともに、チッタ自身がその働きによって規定されるようになった。出来事の発生順序を区切るための基本的単位として、聖典で使われている「機会(samaya)」ではなく「刹那(khaṇa)」が使われ、物質的現象の存続期間は心理的現象が十七刹那だけ集まったものと決められた。一つの刹那は、生起、現存、消滅の三つに分割されるというのも、注釈書で初めて現れたものと思われる[10]

同じく注釈書が初出であるのが物質的現象のグループ(kalāpa)分けである。これは、一次的要素と派生的要素を区別する形で整理されている。心要素と心意識要素の物質的基礎として心基(hadayavatthu)を規定したのも同様である。また、注釈書はカンマ(業)を分類するために(全てではないが)たくさんのカテゴリーを導入し、カンマとその結果との相互関係を詳細に分析した。心的要素(cetasika)の総数を最終決定したのも注釈書である。『法集論(Dhammasanganī)』には「また、その時点には、その他の(言及していない)条件付きで生起する非物質的現象が存在する」とあり、明らかに心的要素は無制限の広い地平であることが示されているが、注釈書では「その他の何らかの状態(yevāpanakā dhammā)」とすることでこの数を限定している。

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